テューリンゲン州、やっと終わった州首相選出ドラマ
3月4日の水曜日、人々の目は再び東部ドイツ、テューリンゲン州議会に向かった。この日、同州議会で州首相選出の選挙が再び行われたからである。今回州首相に立候補したのは、左翼党の元州首相、ボードー・ラメロー氏と右翼ポピュリズム政党「ドイツのための選択肢 (AfD 」の州代表で党内極右に属するビヨルン・ヘッケ氏の二人だった。ラメロー氏を州首相に押す左翼党と社会民主党(SPD)、それに緑の党の少数連立政権が、キリスト教民主同盟(CDU)の閣外協力を得て樹立できるかどうか、あるいはヘッケ氏が前回2月5日のように策略を弄して、ラメロー政権の樹立を妨害するかが、焦点となった。
14時から開かれたこの日のテューリンゲン州議会は、まず、西隣のヘッセン州ハーナウで2月19日に起こった極右テロの犠牲者に対する黙祷で始まった。州議会のビルギット・ケラー議長(左翼党)は「我々の州にも浸透する憎悪による血生臭い出来事は、我々の社会の恥以外の何物でもない」と警告の言葉を述べた。小さな州、テュユーリンゲン州議会の議員総数は90人で、第1回と第2回の選挙では過半数、つまり46人の支持が必要で、第3回では単純多数を獲得した候補者が当選することになる。少数政権樹立を目指す左翼党、SPD、緑の党3党の議員は合わせて42人、左翼党陣営は当初第1回の投票で、少なくともCDUの議員4人の賛成票を得て、過半数を得ることを目指したが、その当初の目標は叶わないことが投票以前に明らかになった。そのため今回も3回の投票が必要になった。
CDUの議員数は21人、AfD は22人、自由民主党 (FDP) は5人で、ヘッケ氏がAfDの22票以上の票を獲得するかどうかも注目された。第1回と第2回の投票では、ラメロー元州首相は、連立を組む3党の議員数にぴったりの42票を獲得、棄権票はCDU議員数と同じ21票、ヘッケ氏もAfD議員数ぴったりの22票しか獲得できなかった。CDU議員からの支持票を期待していたヘッケ氏は、3回目の投票を前に立候補を取りやめた。その結果ラメロー氏は3回目の投票で、賛成42票の単純多数で、州首相に選出された。反対23票、棄権20票でAfD議員は全員反対、CDUの議員一人が棄権ではなく反対に回ったと思われる。前回2月5日の3回目の投票で、FDPのトーマス・ケメリッヒ氏が急遽立候補してAfDと CDUの支持を得て1票差で州首相に選ばれたことで、ドイツ全土を揺るがすスキャンダルを巻き起こしたFDPの5人の議員は、今回全員が名前を呼ばれても席を立たず、投票にいっさい参加しないという戦術をとった。とにかくラメロー氏が再び州首相に返り咲いたことで、ホッとした人は少なくなかった。2月5日に州首相に選ばれたケメリッヒ氏がその後辞任を表明したため、テューリンゲン州議会の機能はほぼ停止していたが、これで閉塞状態に陥っていた州議会が正常に機能するようになったからである。
左翼党のラメロー州首相を筆頭とする少数政権がやっと承認されたが、ここに到るまでには左翼党、SPD、緑の党のラメロー陣営とCDUの間で、事態収拾のための話し合いが続けられていた。というのも、CDUの協力なしに議会運営は不可能だからだ。その話し合いの結果、CDUが建設的な野党として政策によっては少数政権に協力して行くことを約束する「安定メカニズム協定」というものがまとめられた。これが調印されたのは、なんと選挙当日の朝のことだった。この協定で決められたことは、まず、この政権は短期間の暫定政権で、2020年と2021年の州予算を成立させた後、2021年4月に新たな州議会選挙を行うということだ。支持率を伸ばしている左翼党としては今すぐ再選挙を行なって安定政権を作りたかったのだが、選挙を1年後に設定したのは、 支持率の落ちている CDUの希望を受け入れて妥協したのだった。
ラメロー陣営とCDUの間で結ばれた「安定メカニズム協定」にはこのほか、左翼党に対するCDUの要求、つまり旧東ドイツ時代の体制による犯罪について政治教育を強化すること、旧東独の過去の歴史を記録する記念館や犠牲者の記念碑を作ることなどもうたわれている。過去5年間実務的な政治を行って、州民の間で人気を得たラメロー州首相だったが、所属する政党が左翼党であることに抵抗感を持つ人がCDUの中に多いことを配慮したものである。紆余曲折の後、最終的にCDUが建設的な野党としてラメロー陣営に協力していこうという姿勢を取るようになったのは、テューリンゲン州議会のCDU議員団団長に新しく柔軟な考えのマリオ•フォークト氏が就任したことで可能になったものだ。
全部で6回もの投票の後ようやくのことで州首相に返り咲いたラメロー氏が、当選後、AfDのヘッケ氏のお祝いの握手を拒否したことが注目された。「あなたはこの州議会の議場で、他の政党を罠に陥し入れ、民主主義を踏みつける行為を行った。お祝いの握手を拒否するのは、エチケットに反する粗野な行いと誹られるかもしれないが、あなたが民主主義者に立ち戻った時に、お祝いの握手を受ける」とラメロー州首相はヘッケ氏に言ったと伝えられる。
東部ドイツ、テューリンゲン州での政治的混乱がひとまず終わったことについて、フランクフルトで発行されている全国紙「フランクフルター・アルゲマイネ」は、次のように指摘する。
ドイツ全体のドラマに発展したテューリンゲン州の茶番劇は、ようやく一つの結論に達した。行動能力のある州政府を作らなければという考えが勝利を収めたのだ。これはいいニュースである。悪いニュースは汚点がついたり、失敗したりした政治家のリストが長いことである。これら全てが起こったのは、テューリンゲン州が重要だからではなく、あるテーマが非常に重要だったからである。それは、これまで社会の中道で多数を占めてきた国民政党が、今や少数派になってしまったのはなぜかという問題、そして多数を占める過激派に対して、どのように対応するべきかという問題である。
州都エアフルトで発行されている地元の新聞「テューリンガー・アルゲマイネ」は次のように主張する。
テューリンゲン州の州民は過去数週間、かつてないほどの不安定な状況に置かれ、大きな失望も味わった。州政府の樹立を可能にするため、左翼党とSPD、緑の党の陣営とCDUの間で、「安定メカニズム協定」を結ぶ必要があったという状況自体、耐え難いことである。一連の出来事を改めて評価し直すために、なるべく早い時期に新たな選挙を実施するべきである。
ドイツ西部のコブレンツで発行されている新聞「ライニィッシェ・ツァイトゥング」は、CDUへのアドヴァイスとして、次のように論じる。
CDUは今後も左翼党を政治的な対立者と見て、その政策がCDUの基本的な考え方と合わないと批判することは許されるべきであり、そうするべき正当な理由がある。しかしながら、一段と過激化し、民主主義の機能を危険に陥し入れるAfDと闘うにあたっては、左翼党と話し合い、妥協を見つける能力が必要とされる。最も大事なのは州のことで、政党の利害はその次に来なければならない。
テューリンゲン州議会はこれで一応正常化されたが、CDU内部の意見は一枚岩とはいかず、AfDに親近感を持つ議員も少なからずいると見られる。4月18日には、CDU のテューリンゲン支部長を選ぶ選挙が行われる。この選挙では、同州出身のクリスチャン・ヒルテ氏が当選する可能性があると見られている。同氏は、2月5日、テューリンゲン州のCDUがAfDと共にFDPのケメリッヒ氏を州首相に選んだ直後に早々とお祝いを述べてメルケル首相の怒りを買い、政府の東部ドイツ担当官を事実上解任された経緯のある人物である。右寄りとみられるヒルテ氏が同州のCDU支部長となった場合、ラメロー政権に対して柔軟な姿勢をとる州議会のフォークトCDU議員団団長との関係はどうなるのか、今後の同州のCDUの動向と、その全国的な影響が引き続き注目される。