ドイツ全国を揺さぶったテューリンゲン州の州首相選挙

永井 潤子 / 2020年2月9日

先週ドイツは政治的な激震と津波に見舞われたような状況になった。まず、2月5日水曜日の午後、ドイツ全国に衝撃が走った。この日東部テューリンゲン州の州議会では新しい州首相選出の選挙が行われていたが、そこで予期しない、驚くべきことが起こったからだ。議会内最小の政党、自由民主党(FDP)の候補者によって、第一党である左翼党のボードー・ラメロー州首相が再選を阻まれ、その地位から追われるという事態になったのだ。よりによってリベラルなはずの自由民主党の候補者が奇襲作戦のような手口で、保守政党のキリスト教民主同盟(CDU)と右翼ポピュリズム政党である「ドイツのための選択肢(AfD)」の支持を得て、1票差で、新しい州首相に選ばれた。その陰謀めいたやり方と極右政党の支持を得たことが、「ワイマール共和国時代の二の舞」と批判を浴び、直ちにテューリンゲン州議会前やベルリンの自由民主党本部前などでは、多くの市民の抗議のデモが起こった。

選挙翌日の新聞は、予想と全く異なる結果になったテューリンゲン州首相選出の様子を詳しく伝えた

テューリンゲン州はワイマール共和国の名前の基になったワイマール市やナチのブーヘンヴァルト強制収容所跡があることなどで知られているが、現在の政治では、ドイツの16州のうち唯一左翼党の州首相が過去5年間州政治を担当してきた州として知られている。西側出身のラメロー州首相は左翼党ではあるものの、社会民主党(SPD)と緑の党と連立を組んで実務的な政治を行い、地元住民の人気を集めてきた。しかし、去年10月末に行われた州議会選挙で、左翼党は第1党の地位を守ったものの、連立相手のSPDと緑の党の得票が減り、全体として多数を維持することはできなかった。ラメロー氏はCDUやFDPに協力を求めたが拒否されたため、少数政権を樹立させることにし、SPDと緑の党の間に連立協定を結び、第2次ラメロー政権をスタートさせる意向だった。2月5日の州首相選挙では、ラメロー首相自身はもとより、大方の人がラメロー氏の再選に疑いを挟んでいなかったといっていい。そんななかでの突然の異変だった。

この日の州首相選出選挙にはラメロー州首相のほかAfDの候補として無所属の政治家クリストフ・キンダーファーター氏が立候補していた。当選に過半数の得票が必要な第1回と第2回の投票で、過半数を得た候補者はいなかったため、3回目の投票が必要になった。3回目の投票では単純に多数を得た候補者が当選することになっていた。この3回目の投票の前に、議会でわずか5議席しか持たないFDPのトーマス・ケメリッヒ氏が立候補した。第1回、第2回の投票ではAfDの議員は全員自党の候補者に投票したが、第3回では、意外なことに全員が自党の候補者ではなく、ケメリッヒ氏に票を入れた。また、CDUとFDPの議員は前2回共ほぼ全員が棄権したが、第3回では全員がFDPの候補者に投票し、ケメリッヒ氏は45票を獲得した。小さなテューリンゲン州議会の議員数は90人。ラメロー氏の得票は44票で、棄権が一人だった。1票差で勝利したケメリッヒ氏は、直ちに選挙結果を受け入れ、新首相になった。こうした結果になったのは、同州のCDU、FDP、AfDの議員の間で事前に綿密に計画されていたと見る説もある。テューリンゲン州のAfDは特に極右のビヨルン・ヘッケ氏が中心となっていることで知られるが、CDUとFDPがそのネオナチ的なAfD の支持を得て、新首相を当選させたことが、多くのドイツ市民に衝撃を与えた。もし、CDUやFDPの議員が主張するように、AfD の投票態度が事前に全く予想できなかったとしても、ケメリッヒ氏はAfD の支持を得て当選したことが分かった段階で、選挙結果を受け入れるべきではなかったという意見も強い。

AfDの協力を得て新首相に選ばれたケメリッヒ氏自身は、これからの州議会でのAfDとの協力を否定し、左翼党を除いたSPDと緑の党に協力を求めたが、もちろん拒否された。左翼党のテューリンゲン州代表である女性議員が、新首相就任のお祝いの花束をケメリッヒ氏の足元に投げつけるというシーンも見られた。

州首相選挙の結果を受け入れると宣言したケメリッヒ氏、Thüringer Landtag©️Volker Hielscher

その日のテレビ、ラジオはテューリンゲン州の出来事を大きく取り上げ、それぞれ論評したが、特に私の印象に残ったのは、ドイツの公共第2テレビ、ZDFの論説主幹ペーター・フライ記者の論評だった。「ケメリッヒ氏は確かに民主的な手続きを得て当選したわけだが、右翼過激派のAfDの協力を得たことは、これまでのFDPやCDUの態度と相入れないものであり、その政治的な影響を考慮するべきである」として、ケメリッヒ氏に辞任を求めた。その際フライ記者は、ワイマール共和国の歴史を振り返り「1924年ワイマール市で保守的な民族政党が成立し、それが(1933年の)ナチの政権掌握につながり、最後はブーヘンヴァルト強制収容所で終わった。こうした(テューリンゲン州の)過去の歴史から学ぶべきである」と強調していた。

FDPやCDUの有力政治家の間でも、衝撃を受けた人は少なくなかった。ケルン出身で、旧西ドイツの内相をつとめたゲアハルト・バウム氏(FDP)もその一人で、公共ラジオ放送ドイチュラントフンクとのインタビューで、ナチ時代の自分の体験を話し、同じ過ちを繰り返してはならないとして、同党の候補者ケメリッヒ氏に辞任を求め、そのために全力を尽くして闘っていくと述べていた。一方、CDUのアネグレート・クランプ=カレンバウアー党首は直ちに、AfDとの協力は認められないと明言して、選挙のやり直しを求めた。緑の党の共同代表はCDUに対し、こうした行動に出たテューリンゲン州のCDUを党から除名することさえ求めた。

さらに、南アフリカを訪問中のメルケル首相も、テューリンゲン州での州首相選出結果について、明確な言葉で批判し「この選挙のプロセスは許し難いものであり、従ってその結果は取り消すべき性質のものである」と述べた。「3回目の投票結果は予測できたはずである。AfDの助けを得て州首相を選出するなどは、CDUと私自身の信念に反するものである。こうしたやり方で選ばれた州首相の政権にCDU は参加すべきではない。CDU の価値観と信念が破られたこの日は、民主主義にとって最悪の日だった」と強い言葉で批判した。

翌6日、こうした状況に新しい展開が見られた。5日には各方面からの批判や辞任要求に応じる姿勢を見せなかったケメリッヒ氏だったが、翌日FDPのクリスチャン・リントナー党首が現地に飛び、説得した結果、辞任の意向を示し、議会を解散して新たに州議会選挙を実施すると発表した。しかし、州議会の自主解散には、同州議員の3分の2の承認が必要で、左翼党、SPD、緑の党、それにCDUも新たな選挙に反対しているため、議会が解散される可能性は少ない。またCDUのクランプ=カレンバウアー党首も、6日夜州都エアフルトに赴き、現地のCDU議員たちと話し合い、新たに州議会選挙を行うよう説得を試みた。しかし、7日午前2時半、5時間にわたる協議の結果、説得に失敗し、現地の議員たちが新たな選挙以外の方法で事態の打開を図っていくことで意見の一致を見たことを明らかにした。テューリンゲン州議会議員のみならず、同州の有権者の間には、テューリンゲン州独自の問題にベルリンの党本部が介入することに強い反発があるといい、CDUの党首はそうした現地の態度を尊重しなければならなかった。この話し合いの結果をクランプ=カレンバウアー党首の力不足と見るか、現地の意向を尊重した柔軟な態度と見るか、評価は分かれるところである。

テューリンゲン州議会のスキャンダルの核心は、民主主義政党であるCDU やFDPが極右のAfDの協力を得て新首相を選んだことで、そのことがベルリンの連邦政治にも大きな影響を与えている。連立相手のSPDは、CDUとキリスト教社会同盟(CSU)に対し、AfDに対する態度を明確にするよう求め、メルケル首相がアフリカ訪問から帰国した直後の8日土曜日の正午から首相官邸で連立3党の首脳部による危機克服会議が開かれた。2時間ほどで終わったこの話し合いの後、SPDの共同党首、ザスキア・エスケン氏とノルベルト・ワルター=ボーヤンス氏は、SPDとCDU・CSUの首脳部はAfDとの協力は今後ともありえないこと、テューリンゲン州で速やかに新たな州議会選挙を実施するべきことなどで意見が一致したことを明らかにした。

3党首脳会議が行われたベルリンの首相官邸前やテューリンゲン州の州都エアフルトやイエナなどでは、8日、ケメリッヒ新首相に対し即時辞任を求めるデモが行われ、多くの市民が参加した。ベルリンでは同時にケメリッヒ氏支持のデモも行われたが、こちらのデモの参加者は少数だった。そうこうするうちに8日午後4時ごろ、ケメリッヒ氏が直ちに州首相を辞任すると発表した。同氏は前日には、議会解散の手続き上必要だとして、当分州首相の地位にとどまることを明らかにしていたため、これも急な展開だった。メルケル首相を含む3党首脳会議が、この辞任決定になんらかの影響を与えたのだろうか。いずれにしろ、ケメリッヒ氏の辞任によってテューリンゲン州で新首相選出の選挙が新たに行われる可能性が生まれた。その際にはラメロー元首相が再び立候補する用意があることを明らかにしている。

なお、8日、メルケル政権の東部ドイツ担当官、クリスチャン・ヒルテ氏(CDU)はメルケル首相によって辞任に追い込まれた。テューリンゲン州出身のヒルテ氏は、ケメリッヒ新首相の誕生の後、早々とお祝いの言葉を述べ、各方面から批判を浴びていた。しかし、地元テューリンゲン州のCDUの党員の間では、ヒルテ氏の解任を残念がる声が聞かれる。

テューリンゲン州での激震の影響は計り知れず、今後どう展開するのか、当分目が離せない。

注:この記事を書いた翌2月10日朝、CDUのクランプ=カレンバウアー党首が、次期首相候補には立候補せず、新たな次期首相候補が決まった段階で党首も辞任すると発表した。この予期しない発表に、又しても衝撃が走った。すでに党首の後継候補の名前が挙がっているが、3人の候補者は全員男性で、そのうち2人は2018年の党首選出選挙でクランプ=カレンバウアー氏に敗れた保守的な政治家である。東部テューリンゲン州で始まった政治的激震は、全国規模に広がったことになる。

 

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