連邦議会選挙の結果、ドイツ社会に衝撃

永井 潤子 / 2017年10月1日

9月24日に行われたドイツ連邦議会選挙の結果は、ドイツ社会に衝撃を与えるものだった。メルケル首相の率いる保守のキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)は第一党の地位を維持したが、これまでの「大連立政権」のパートナー、社会民主党(SPD)とともに大幅に票を減らした。 その一方、新興右翼ポピュリズム政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が、初めて連邦議会進出を果たしただけでなく、一気に12.6%を獲得してSPDに次ぐ第三党となった。選挙当日、難民反対、外国人排斥、ネオナチ的な主張を掲げる同党の連邦議会進出が伝えられると、首都ベルリンでは数百人の市民が、抗議デモを行った。抗議デモはフランクフルト、ケルン、ハンブルクなどの大都市でも行われた。

事前の世論調査のほとんどはAfDの得票率を10%から11%と予想していたが、ドイツ東部テューリンゲン州の世論調査所INSAだけは13%と予測。AfD寄りの調査だと批判されもしたが、結果的にはこの予測が実際の得票率に一番近かった。AfDのトップ候補の中には、これまでタブー視されてきたナチの言葉を使って、トルコ系ドイツ人の有力政治家を「故郷へ追い返すべきだ」と言ったり、「第二次世界大戦中のナチスドイツ軍の功績を誇りに思うべきだ」などという歴史修正主義的な発言をしたりする人がいて、既成政党はみな、この党との連立を拒否している。

しかし、選挙後の調査によると、AfDに投票した人の60%はこの政党の主張に賛成するというより、他の既成政党に対する不満や怒りから、抗議票としてこの党に投票したという。特に旧東ドイツ地域では、メルケル首相の難民政策による難民の増大、テロや犯罪の増加、イスラムの影響が強まることに対する不安が、ドイツ統一以来のさまざまな不満や怒りとあいまってAfDの支持率を高めたようだ。ザクセン州ではCDUを押しのけてAfDが第一党になった。東部ドイツ全体でのAfDの得票率は21.5%で、 26%のCDUに続いて第二党となっている。しかし、西側でも従来の産業がさびれ、失業率の高いルール地方の町、かつてはSPDの牙城だったゲルゼンキルヘンでは、AfD の得票率が27%にものぼった。

今回の選挙の投票率は76.1%で前回の71.5%より高かったが、前回棄権した人の票が今回は多数AfDに流れたという。ついで多かったのが保守党支持者からAfDに流れた票だったが、前回はSPD や緑の党に投票した人の中にも今回投票先をAfDに変えた人が少なくなかった。選挙集会では鳴り物で演説を妨害し、メルケル首相に向けて「裏切り者!」とか、「やめろ!」とか、大声で口汚く罵り、ナチ的な発言を臆面もなくする人たち。こういうAfDの連邦議会進出によって「ドイツ社会は変わった」と私自身もショックを受けたが、残りの87.4%は民主的な政党に投票していることを忘れてはならないだろう。

ショックはAfDの躍進だけではなかった。AfDの連邦議会進出は、事前の世論調査によって、ある程度予測はされていたが、これまでの政権与党である二大政党の得票率の激減は、予想をはるかに上回るものだった。メルケル陣営のCDU・CSUは8.7%, 連立相手のSPDは5.2%、それぞれ票を減らしたことは、ドイツ社会に衝撃を与えた。これは有権者がこれまでの「大連立政権」にノーを突きつけたものと理解された。保守の同盟の中でも、バイエルン州を基盤とするCSUは約10%の票を失い、ドイツ連邦共和国が設立された1949年以来最低の得票率となった。同党はメルケル首相が党首を務める姉妹政党、CDUより右寄りだが、メルケル政権の下でCDUが左寄りになったことに不満を持つ支持者の一部が、今回新興右翼政党に投票したためと見られている。メルケル首相は、辛うじて四度目の勝利を手にはしたが、その力は弱まったことになる。

また、前回5%条項に妨げられて議席を失ったリベラルな自由民主党(FDP)が予想通り票を伸ばして議会復帰を果たしたため、次期連邦議会には6政党が議席を占めることになった。統一会派を組むCDUとCSUを別の政党とみなすと、実質的には7政党ということになり、次期連邦議会の運営は複雑なものになることが予想される。

暫定結果は以下のとおり。

キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)32.9%(−8.7%)

社会民主党(SPD)20.5%(−5.2%)

ドイツのための選択肢(AfD)12.6%(+7.9%)

自由民主党(FDP)10.7%(+6.0%)

左翼党 9,2%(+0.6%)

緑の党 8,9%(+0.5%)

事前の予測では、次期政権はこれまで通り、CDU・CSUとSPDの「大連立政権」か、CDU・CSU(シンボル色は黒)、FDP(黄色)、緑の党(緑)の3党によるいわゆる「ジャマイカ連立」(ジャマイカの国旗が黒、黄色、緑からなるため)の二つの可能性があると考えられていたが、SPDは敗北が明らかになった段階で、早々と次期政権には参加せず、野党になることを決定した。大連立に対する有権者の批判を真剣に受け止めた結果だが、もし、今後も大連立になると、AfDが野党第一党としての特権を享受することになり、そうした事態を避けるための決定でもあった。その結果、メルケル首相には、FDPと緑の党との「ジャマイカ連立」しか実際には残されていないと考えられている。

しかし、「ジャマイカ連立」の問題点は、市場経済推進を基本原則とするFDPと環境保護、気候温暖化防止を重要視する緑の党の間の政策の違いだけではない。 歴史的な敗北を喫したバイエルン州を基盤とするCSUは、本来の支持者を取り戻すため、今後は軸足を右寄りに移すことを明らかにしており、難民問題などでメルケル首相のCDUとの意見の対立も、これまで以上に大きくなる可能性がある。FDPも緑の党も、党の基本原則を変えてまで保守の同盟と連立を組む気は無いと宣言しているため、実質4党の間の連立交渉は極めて困難なものになると見られている。メルケル首相はSPD が下野を表明した後も、「連邦首相には安定した政権を樹立する義務があり、そのためにはSPDを含め、全ての民主政党と連立の交渉を行う」と述べている。

ドイツ連邦議会の基本議席数は598だが、今回の選挙結果に基づき誕生する第19期連邦議会の議席数はこれまで最大の709議席となった。これは「超過議席数」と「調整議席数」が多かったためである。ドイツ連邦議会の選挙システムはかなり複雑で、各選挙区での候補者を選ぶ直接選挙制と各政党の得票率に基づく比例代表制の二本立てになっている。連邦議会の選挙では有権者は二票投票する。最初の一票は選挙区の候補者を直接選ぶ票、二票目は政党への投票である。基本議席数の半分の299議席は全国299の選挙区に立候補した候補者の中から直接選挙で選ばれる。あとの半分は各政党があらかじめ州ごとに作成した候補者リストの中から各政党の得票率に従ってリストの上位から順次選ばれる仕組みになっている。

その際、直接選挙で選ばれた候補者が優先されるため、直接選挙での当選者の数が各政党の得票率の比例配分による議席数より多いというケースが起こり得る。直接選挙による当選者は、政党の得票率が低い場合でも当選を取り消されないため、議員の数は各党の得票率による比例配分以上に多くなる。これを「超過議席」という。その結果生じる不公平を他の党の議席を増やことで調整するが、これを「調整議席数」という。今回この二つが特別多かったため、総議席数が709議席まで増加した。つまり、総議席数は、選挙結果を反映して議会ごとに変わるのだ。前回の連邦議会の議席は631だったから、これまでより78議席増えたことになる。連邦議会本会議場に709議席を作るのは、実際問題として大変な作業になる。大衆新聞「ビルト(Bild)」は選挙の翌日、「議員数が増えたことにより、年間5000万ユーロ余計に費用がかかる!」と大々的に報じていた。

次期連邦議会のもう一つの特徴は男性が圧倒的に多く、女性議員の数が少ないことである。男性議員491人に対し女性議員は218人で、比率は30.7 %.にすぎない。前連邦議会での女性議員の比率は最初36.5%だったが、会期の終わりには、37.1%に達していた。会期の終わりに女性議員が増えるのは、各政党の候補者リストの下位に女性が集中しているため、任期中に死亡したり、辞任したりする議員(大抵は男性議員)の代わりに繰り上がり当選するのが女性議員というケースが多いためだという。いずれにしろ、このところ伸びてきた女性議員の数が今回19年前に逆もどりしたと言われる。

もともと女性議員の割合が多いのは50%の女性割当制を導入している緑の党と左翼党で、ついで多いのが40%の割当制を導入しているSPD だが、 今回SPDは得票を減らし、あとの2党も伸び悩んだ。今回連邦議会への復帰を果たしたFDPはこれまでもっとも女性の少ない党だったし、CDU・CSU では、直接選挙の候補者の大多数が男性だった。AfDにいたっては93人の新議員のほとんどが男性である。なお、これまでの党首は女性のペートリ氏だったが、選挙翌日のベルリンでのAfD の記者会見で「今後自分自身はAfDに属さない」と発言して人々を驚かせた。党内の路線の対立が原因とみられているが、その後AfDからも脱退した。そのため無所属となったが、今後新党を作るという噂もある。

そもそも女性有権者の数は3170万人で、2980万人の男性より約200万人多い。女性議員の数が少ない連邦議会議員の構成は、現実の人口構成を反映するものではない。女性の代表が少ないだけではなく、年齢的にも偏っていて、高齢者と若年層が少なく40代50代が圧倒的に多い。

しかし、選挙が終わった直後の最大のテーマはやはり、AfDの躍進だった。ドイツのシュタインマイヤー大統領は、次のように語っていた。

選挙の日曜日以来、ドイツの政治状況は大きく変わった。今重要なのは、選挙戦の間に表面化した人々の失望と怒り、あるいは、多くの場合憎悪と呼ぶべき感情がどこから来たのか、しっかりと見極める事である。論争する事、必要な場合には激論を闘わす事は、民主主義にとって必要な事である。しかし、その論争は民主的な規則に従って行わなければならない。守るべき規則の中には、あらゆる形の反ユダヤ主義や人種差別を拒否する事、ドイツの過去の歴史に責任を感じる事も含まれている。

ドイツのメディアは今回の選挙結果についてそれぞれ解説や論評を載せているが、その中で「溜まった感情がついに爆発した!」という見出しのベルリンの新聞「ターゲスシュピーゲル」の記事が目に止まった。

メルケル首相のもとで、ドイツ社会は変化した。兵役義務の廃止、脱原発の決定、ドイツの税金が他のヨーロッパ諸国の財政支援に使われるようにした事、最低賃金の導入、100万人以上の難民に国境を開いた事などなど。それらは環境保護的でリベラル、人道的で世界に開かれた政策という基本原則に従った決定だった。しかし、そうした原則に当てはまらない出来事や十分な説明がなされない事も、しばしば起こった。

今メルケル首相はその報いを受けている。国民の溜まっていた感情が爆発したのだ。AfDが連邦議会への進出を果たしたのは、確かに痛みを伴う出来事だった。しかし、時代の変化に反対する人たちの顔が見えて来たし、代表者の声も聞こえるようになった。ドイツでは、醜いものから目をそらすことのできた快適な時代は、終わったのだ。それにAfDの得票率、13%という数字は、グローバル化によるドラマチックな変化に伴って西側社会に起こった現象、例えば、英国のEU 離脱決定とか、フランスのルペンやトランプによるポピュリズムに比べれば、極めて小さなものである。

ネオナチ的なAfDの躍進に、ナチの台頭を許したワイマール共和国時代と状況が似ているという懸念も存在するが、選挙の2日後、ベルリンで新しい著書の発表会を開いたドイツを代表する著名な歴史学者、ハインリッヒ=アウグスト・ヴィンクラー教授は「ワイマール共和国時代のドイツは、現在の状況とは全く違う」と強調していた。同席した前連邦議会のラマート議長も「現在のドイツの民主主義の基盤はしっかりしている」と楽観的な見通しを語っていたのが、印象に残った。

 

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