難民問題の新たな局面

ツェルディック 野尻紘子 / 2016年5月8日

flüchtling昨年は110万人に達したドイツに来る難民の数が、劇的に減っている。理由は、ギリシャから地続きのバルカン半島のマケドニアやクロアチア、スロヴェニアを通ってオーストリアに来ていた難民のルートが封鎖されたからだ。3月には欧州連合(EU)・トルコ間に協定が結ばれ、トルコからギリシャに不法到着した難民はトルコに送り返されることになった。

今年になってドイツに来た難民は1月が9万人、2月が6万人、3月は2万人だった。多くはシリア、イラク、アフガニスタン、パキスタン、エリトリア、モロッコなどから来ていた。しかし4月にEUに来た難民は僅か約6000人だったという。

トルコの海岸線からは遠くなく、晴れの日にはトルコから肉眼でも見えるというレスボスやキトスというギリシャの島々に、難民斡旋業者が仕立てた危うげな船で渡り、そこからギリシャ本土に達し、バルカン半島を通ってドイツに来ていた難民の数は、昨年の夏や秋に比べ、寒い冬の季節に入ってから幾らか減っていた。それでもドイツに辿り着いた難民の数は1月上旬の平均で1日約3000人に達していた。換算すると、年間でまた100万人以上がドイツに来ることになる。

昨年と同じ数の難民が今年もドイツにやって来るのは困ると考えたのは、政治家を含む殆ど全てのドイツ人だったと思う。短期間にこれ以上大勢の難民を受け入れるのは、彼らに住む場所を提供するのも、彼らをドイツ社会に馴染み溶け込ませるのも無理だと考えたのだ。また、昨年大晦日にケルンの中央駅前に新年を祝いに来ていた女性たちに、約1000人の男性の難民や移民らが盗難を働き、性的な嫌がらせをした事件も、これ以上の難民受け入れに反対する大きな要因となった。このままではドイツの本質まで変わってしまうのではないだろうかと恐れたのは、極右だけではなかったはずだ。そして難民受け入れの上限を求める声があちこちから上がっていた。

しかしメルケル首相は、迫害されている人たち、内戦や紛争地域から逃れて来る人たちの受け入れに上限を設けることをせず、難民問題はドイツだけの問題ではなく欧州単位で解決するべきだと主張した。そのため、同氏の政策はドイツ国内だけではなくEU圏内でも批判の対象になった。 EU圏内の他の国々も、今まで以上の難民の受け入れには非常に消極的になっていたからだ。昨年秋に首脳会議で取り決められた、ギリシャとイタリアに留まっていた約16万人の難民を圏内の国々に公平に振り分けるという作業すら殆ど進んでいなかった。

難民が今までのようにヨーロッパに押し寄せて来ないためには、シリアの内戦が収まることが第一だ。しかしそれがそう簡単には望めない以上、難民がシリアの隣国に留まるのがその次に良い方策ではないかとメルケル首相は考えた。そしてシリアの隣国であり既に200〜300万人のシリア人難民が滞在しているトルコと話し合いを始めた。もちろん事前にEU加盟国の首脳や欧州委員会と相談していたと思われる。同氏がその目的のために初めてトルコを訪問したのは昨年10月だ。トルコに来た難民がギリシャの島々に渡らないように引き止めてくれれば、EUはトルコ政府に難民滞在対策のために10億ユーロ提供するとメルケル首相は提案した。これに対しトルコ側は30億ユーロを要求した。トルコはその他、トルコのEU加盟交渉を進めることと、トルコ人がビザ無しでEU圏内に入れることを条件にあげた。

EU、特に難民にとり滞在条件の良いドイツを目指す難民のルートとなっていたクロアチアやスロヴェニアが、難民の波に悲鳴をあげていたことは無視できなかった。以前にはルートが通っていたEU加盟国であるハンガリーは、既に昨年10月にEU圏外との国境を閉じてしまっている。ルートが国を通るが自身もまた難民の目指す目的地となっていたEU加盟国のオーストリアが、同じくEU加盟国であるスロヴェニアとの国境を閉鎖し、今年受け入れる難民の上限を37万5000人と発表したのは今年1月末だった。オーストリアもまた、これ以上の難民を同国に統合するのは無理だと判断し、ドイツとは異なる政策を取ることにしたのだ。その後、オーストリアはルートが通るバルカン諸国とも話し合い、マケドニアがギリシャとの国境を閉鎖することを決めた。その結果、大勢の難民はマケドニアの国境に近いギリシャの地域で足止めを食うことになってしまい、混乱が広がった。

EU・トルコ間の協定を近々結ぶためにメルケル首相が再びトルコを訪れたのは2月初めだった。そしてトルコのダウトオール首相は同月中旬のEU首脳会談にブリュッセルに招待されたのだが、その後アンカラで起きたテロ事件のために、同氏がブリュッセルに来たのは3月に入ってからだった。トルコからの提案は、「EUはトルコとのEU加盟交渉を進める。トルコ人は今年6月末以後、ビザ無しでEU圏内に入ることができるようになる。EUは難民援助のために2018年までにトルコに合計60億ユーロを支払う。その代償としてトルコは、今年3月20日以後にギリシャに不法入国した難民全員を引き取る。ただしEUは、トルコに戻された難民の内のシリア人の数に相当する数の、トルコ国内の難民キャンプにいるシリア人を引き取る」というものだ。EUに加盟している28カ国の首脳はこれに同意し、EU・トルコ間の協定は3月18日に締結された。

この協定は、EUにとり決して“飲みやすい薬”ではない。トルコは自国内の少数民族であるクルド人を迫害したり、政権に批判的なジャーナリストを起訴したりしている。トルコが真の民主主義国家であるかどうかが疑われるのだ。また同国は、助けを求めてやって来た何百人ものシリア人やアフガニスタン人を、十分な調査もせずに母国に送り返しているとも伝えられる。EUは、そのトルコと加盟交渉も進めなくてはならない。そして条件付きではあるが、それ以前に、トルコ人をビザ無しでEU圏内に自由に出入りさせなくてはならないのだ。メルケル首相は今まで、トルコのEU加盟をむしろ抑えてきていた人物だ。

この協定を好ましくないと公に批判するドイツのグループは多い。緑の党などの野党を初め、難民擁護団体である「プロ・アジール(難民支援)」や人権擁護・難民救済を支援する「 アムネスティー・インターナショナル」などの非政府組織(NGO)だ。彼らはこの協定を、「ジュネーブ協定やドイツの基本法を無視した『取引』」と呼んでいる。EU 諸国にとっては難民の波が抑えられて好都合だが、この協定が法律に適い、真に救済を求めている人たちを救えるかどうかは疑わしいからだ。ただ、ドイツ、EUが世界中の難民全員を援助できないのも事実だ。

EUとメルケル首相は、「 人間の命と尊厳を大切にし、命の危険にさらされている人たちに生きる場所を提供する」という尊い建前を捨てて、我が身を救うためにこの協定を結んだようだ。そして、その効果はその直後から上がっている。4月にトルコから飛行機で正規に欧州に 送られてきた難民は、今までに100人強でしかない。彼らは、ドイツ、フィンランド、オランダ、スウェーデンに分配された。しかし、今後難民をEU圏内でどう公平に分配するかはまだ解決されていない。また、バルカンルートを閉ざされた難民たちが、更に別のルートを考え出すことは十分考えられる。暖かな季節になり、難民がまた大挙して欧州に到着する可能性は十分残っている。

なおこの間、ドイツでは3月13日に三つの州で州選挙が行われた。結果は心配された通り、メルケル首相の率いるキリスト教民主同盟(CDU)が大きく票を落とし、これらの州で初めて選挙に参加した右翼のポピュリスト新党「ドイツのための選択肢(AfD)」が二桁の票を得てしまった。同党の得票率は、ラインランド・プファルツ州が12.6%、バーデン・ヴュルテンベルグ州が 15.1%、ザクセン・アンハルト州は何と24.2%にも達した。そしてメルケル首相の人気は下降を続けている。また、4月24日にオーストリアで行われた大統領選挙では 、政権を握り、現大統領も輩出しているオーストリア社会民主党(SPÖ)や、同じく与党で保守のオーストリア国民党(ÖVP)を抜いて、極右政党であるオーストリア自由党(FPÖ)の候補が最大得票を獲得した。 大統領は5月22日にFPÖ候補者と緑の党候補者間の選択投票で選出される。

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