映画『フクシマ・モナムール』の作曲家に聞く

みーこ / 2016年3月20日
ベルリンの和食料理店でインタビューに応じてくれたウルリケ・ハーゲさん

ベルリンの和食料理店でインタビューに応じてくれたウルリケ・ハーゲさん

ドイツ人の女性映画監督ドリス・デリエ監督が福島で撮った映画『フクシマ・モナムール』(原題『Grüße aus Fukushima』)。今年のベルリン映画祭で大きな話題を呼んだこの映画の音楽を担当したのは、日本での滞在経験があり、日本をモチーフにした作品もある音楽家ウルリケ・ハーゲさんだ。個人的な友人でもあるウルリケさんに、映画、福島、日本、政治と芸術といったテーマについて尋ねた。

ウルリケ・ハーゲさんと初めて会ったのは、2年ほど前。「日本に滞在した経験もあり、日本文化や日本語に関心を持っている音楽家」と紹介を受けた。作品CDを聞いてみて、「ああ、この人が日本にひかれたのは、自然な成り行きだな」とぴんと来た。美しく静かな雰囲気をたたえた旋律は、日本文化の繊細さと共鳴しているようだ。その一方で、そこここに感じられる大胆で実験的な作曲・演奏のスタイルも、日本の芸術に相通ずるものを感じる。そして、私の周りのドイツ人がみんな、ミュージシャンとしての彼女のことを知っているのには「え、そんな有名人なの!?」と驚いた。そのウルリケさんが『フクシマ・モナムール』の音楽を担当したと聞き、インタビューを試みた。

ーー2012年に京都に3か月いたことがありますよね。その経緯について教えてください。

もともと日本文化には関心がありました。ドイツで上演された演劇『楢山節考』の音楽を担当したこともあるし、松尾芭蕉や種田山頭火の俳句にも興味がありました。音楽制作でよく組んでいる打楽器奏者のエリック・シェーファーも同じように日本に関心を持っていたんですが、ある日、京都のゲーテ・インスティトゥートのアーティスト・イン・レジデンス施設「ヴィラ鴨川」が芸術家を招聘しているということを知り、彼と共同で音楽のプロジェクトを企画して応募してみようということになったんです。応募したのが2011年の初め。秋の京都は素敵だろうと2012年の秋を希望しました。その後、京都からの返事を待っているときに、東日本大震災が起きたんです。

よく覚えているんですが、3月11日に私は、ドイツ北部のバルト海に面した小さな町アーレンスホープで休暇を過ごしていました。ベルリンの喧噪から離れるのが目的だったから、テレビも見ず、海辺でゆったりと本を読んでいました。確か、日本の文化や歴史について書いてある本でしたよ。そしたらそこへ、エリックから携帯に電話があって。「ウルリケ! 日本で何があったか知ってるかい!?」って言うから、「ううん、何の話?」って答えて……。震災のことを知ったときは、胸を突かれました。その日からはもう、毎日日本のことばかり考えて……。以来、思いはずっと日本と共にありましたね。

それから1か月ほどした後、京都から返事があり、ヴィラ鴨川への招聘芸術家に選ばれました。嬉しかったけれど、周囲には反対する人もいました。「放射能で汚染された国に行くなんて」と私を止める人もいたし、一緒に行こうと思っていたエリックも、食品の放射能汚染について心配していました。

それでも、私は行くのをやめようとは思わなかった。そんな考えは、ちらっとも浮かびませんでしたね。ひどく打ちひしがれている人たちがどこかにいて、励ましたいとか寄り添いたいとか連帯を示したいと思うのなら、まずはそこへ行くことが大事だと思ったから。そう言えば、私は2003年に、アフガニスタンで音楽のワークショップをしたことがあるんだけど、タリバンが去った直後のことだったから、周りからは止められましたよ。「戦場と同じだよ。そんな危険なところに行くなんて!」って。でも、あのときも、やめようとは全然思わなかったな。

ーー情報が錯綜して、原発事故や放射能汚染について、何が正しいかわからないということはなかったですか。

それはなかったですね。ドイツのメディアは、最初からはっきりとメルトダウンが起きたと言っていたから。「事故はあったけど状況は悪くないから大丈夫」っていう情報を信じたこと? ないない。それは全くなかった。だって「原発が爆発したけど大丈夫」なんて、ありえないでしょう? その手のウソは、チェルノブイリ事故のときにドイツでも原子力ロビーが振りまいていました。だから、今回も最初から原子力ロビーや日本政府がそんなふうに言うことはわかっていましたからね。

ーー実際に日本に行ってみて、どうでしたか?

京都に着いたら、もう日常が戻ってきているな、ということはすぐにわかりました。食品汚染の問題も、産地に気を付ければ大丈夫だと思いました。それに、日本にも有機野菜を栽培し、食の安全に気を付ける動きやグループがあることも知り、嬉しくなりました。

日本で作曲した音楽は、その後、『For All My Walking』という2枚組CDにして発表しました。今でもこのCDを聞くと、京都で自分が何を考えていたか、何を感じたか、どんな出来事や感動が自分の音楽の中のどの音として立ち現れたか、鮮明に思い出せるんです。例えば、京都から4時間かけて滋賀県の大津まで歩いたときに、にわかに天気が悪くなって雨が降り出した。そこへ三井寺の鐘が5時を告げて……。その鐘をモチーフにした音が、「Kodou(古道)」という曲に入っています。

ーー翌年の2013年にも京都を訪れていますが、そこで初めて『フクシマ・モナムール』のドリス・デリエ監督に会ったそうですね。

そう。ドリスは、2013年に秋に、私と同じプログラムで京都に滞在していました。京都の文化イベントで、彼女が以前日本で撮った映画『Kirschblüten – Hanami(花見)』という映画が上映され、私のほうはコンサートをしました。その後、イベントの関係者や個人的な友人も交えて食事に出かけたときに、ドリスは私の隣に座って、こう言ってくれたんです。「コンサート、とても素敵だった。まさに、自分の映画の中で使いたいと思うような音楽だったわ」って。

ドリスがコンサートの前から私の音楽のことをよく聞いてたと言ったのにも驚きました。彼女、京都で書道をやっていたんだけど、一緒に書道をやっていた日本人女性のお連れ合いが、私もよく知っているドイツ人のジャーナリストでね。そこのうちでは、いつも私のCDがかかっていたそうなの。ドリスは「書道をするのにぴったりの音楽よ!」って言ってたな(笑)。

その後、彼女が、自分が滞在していたヴィラ鴨川の部屋に私を招いてくれたんだけど、それはちょうど1年前に私が使っていたのと同じ部屋でね。その後も、ヴィラ鴨川のことをドリスと話すときはいつも、その部屋を「私たちの部屋」って呼んでるの(笑)。ドリスと私は両方、日本のことが大好きでしょう? だから、会ったその日からもう通じ合うものを感じました。それに、ほら、同じ国の出身者同士でも外国で会うほうが何だか親しくなれるっていうことってあるじゃない? お互い開放的な気分で意気投合して。その日はいろんな話をしましたね。もちろん福島のことも。福島のことは、ドリスと私だけではなくて、ヴィラ鴨川に滞在しているドイツ人芸術家やその周辺の日本人がいつも話題にしているテーマでしたね。

その後、ベルリンで会ったときに「こんな映画を企画しているんだけど、音楽を担当してほしい」と言われて、その場で二つ返事でOKしました。私にとって大切なテーマだったし、ドリスのことを信頼していたから。その後さらに、映画制作資金のメドが立って正式なオファーをもらい、「まずは脚本を読んでみて、それから本当にオファーを受けるかどうか決めてね」と言われて脚本をもらいました。読みながらシーンが鮮明に浮かんできてね。もう自然と、頭の中で作曲を始めてましたよ!

監督から送られてきた白黒のストーリーボードとウルリケさんが作曲した楽譜

監督から送られてきた白黒のストーリーボードとウルリケさんが作曲した楽譜

ーー『フクシマ・モナムール』は、今年のベルリン映画祭で大喝采を浴びましたね。

ええ、素晴らしい映像・音響設備の映画館で、観客と感動をシェアできたのは、本当に嬉しい体験でした。映画の最後にスタッフ・クレジットが出るでしょう? 監督の名前が現れた瞬間に、わーっと拍手が起こってね。私ね、わざと、あそこで音楽が一番盛り上がるようにしておいたのよ(笑)。我ながら、うまく計算したわって思っちゃった。あれはね、私からドリスへの贈り物だったの。

映画を見たある日本人が「あなたの音楽からは『日本』を感じる」と言ってくれたことも嬉しかったな。映画音楽だから音楽が前に出すぎてはいけないし、私はミニマルなものに心ひかれるタイプだから、基本は、映像を尊重して抑制した曲調に仕上げました。津波のところで感情をあおるような音楽を乗せたりはしなかった。日本文化にもミニマルなものを好むところがあるでしょう? でも、映画のストーリーが進むに連れて、少しずつ音の数を増やしているんですよ。

ーー日本では、芸術家や芸能人は「色が付く」ことを恐れたりスポンサーの意向を忖度したりして、政治的なことに口を閉ざす傾向があります。あるいは「イデオロギー的になりすぎると芸術性が損なわれる」とか「プロパガンダだと批判される」という恐れもあるのかもしれません。音楽家として「政治と芸術」について、どう考えますか。

恐れずに意見を言うことが大事だと思いますね。最近は、ポップ・ミュージシャンだって、政治についての自分の意見を明らかにするのが世界の潮流でしょう? イデオロギーやプロパガンダと政治は、全然別ものですよ。作品を通して自分の意見を伝え、受け取り手に視野を広げたり考えを深めたりするきっかけにしてもらうことは、芸術家の大切な役割だと思います。それに、音楽家とか芸術家の中には、言葉で自分の意見を伝えるのが苦手な人もいるでしょう? そういう人は作品で伝えればいいんですよ。

政治と芸術作品と言えば、『フクシマ・モナムール』の最後の最後。ストーリーが終わり、スタッフ・クレジットも終わったところで、実際に日本で行われた反原発デモの参加者を映し出す短いシーンがあります。本編のストーリーとは、あまり関係ないシーン。あのシーンを入れるかどうかについては、映画制作に関わった人間の間でも、いろいろと議論がありました。「要らない」という人もいた。「もうストーリーは完結しているんだから、それ以上何かを足す必要はない」という意見です。その意見も、それはそれでわかる。でもね、私は、あのシーンがあってよかったと思うの。反原発デモに参加している年輩の人たちの顔……。彼らはもう若くはないけど、未来のため、若い人たちのために社会を変えようとしている……。それをああやって映し出したことで、この映画は彼らへの連帯を示せたと思うし、私はそれをとても嬉しく思っています。

〈ウルリケ・ハーゲさんプロフィール〉
Ulrike Haage。ベルリン在住の作曲家、ジャズピアニスト、サウンドアーティスト、ラジオドラマ脚本家。ドイツの最も多才なアーティストの一人とされる。女性ビッグバンド「Reichlich Weiblich」、ロックバンド「Rainbirds」など、さまざまなバンド、音楽プロジェクトのメンバーとして1980年代から活躍し、発表作品は、CDだけでも数十枚に上る。日本に関連する最近の作品としては、『フクシマ・モナムール』サウンドトラックのほか、京都滞在時のプロジェクト『For All My Walking』(2014年)、「Harugasumi(春霞)」という曲目の入ったソロアルバム『Maelstrom』(2015年)、福島の原発事故による離婚問題を扱い、2015年のベルリン映画祭で上映された短編映画『SNAPSHOT Mon Amour』(クリスティアン・バウ監督)の音楽などがある。日本でも、ネット通販各社での作品のダウンロード購入が可能。
http://www.ulrikehaage.com

〈『フクシマ・モナムール』上映予定〉
ドイツでは、2016年3月10日(木)より一般公開中。上映映画館情報はこちら
日本での上映は未定。

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