ケルン事件の衝撃 — 追い詰められるメルケル首相

こちゃん / 2016年1月17日

今年のドイツの新年は大事件で始まった。例年の大晦日の晩のように、ドイツ各地の街では、大勢の市民が 近づく新年を祝うために、あちこちの路上や広場に集まり花火を打ち上げたりシャンパンで乾杯したりしていた。そのころ、ライン河畔の大都市ケルンの中央駅前広場には、およそ1000人のほろ酔い気分の若い男性たちが集まっていた。彼らの多くは中東もしくは北アフリア出身と見られた。彼らは、その広場に居合わせていた、あるいはそこを通ろうとした若いドイツ人女性を取り囲み、盗難を働いたり性的嫌がらせをした。この事件は、これからのドイツの難民政策の転機に繋がることになるかもしれない。

この事件は、ケルンの警察当局が最初に、状況の把握を誤り、他の警察署が申し出た警察官の追加の動員を必要ないとして断ったことが問題だった。そのため女性たちを嫌がらせなどから守れなかったのだ。そしておそらくポリティカル・コレクトネスのためだろうか、つまり政治的に間違った発言を避けるつもりだったのだろう、警察が事故直後の発表に際し、犯人と見られる人物の国籍などを明確にせず、犯人を「北アフリカ系の風貌の若い男たち」とだけ発表したこと が問題視されている。警察があたかも事実を隠したかのような印象を与えたことは、多くの市民にとり苛立たしく、厳しく批判されている。

 北アフリカ系の風貌の若者というのはモロッコ人とかアルジェリア人 を指したようだった。このことは、ケルンの駅前などに相当以前から、これらの国出身の不法滞在の若者たちがたむろし、スリなどの中小の犯罪を犯していることに警察が手を焼いていることが背景にあったようだ。また通常、犯罪事件で犯人と見られる人たちの国籍などを明らかしにないことは、特定のグループに属する人たちに対する社会の偏見を増長しないために、ドイツの警察が以前から行っている慣習だ。少数民族や特定の宗教団体に属する人たちなどもその対象に入っている。しかし大晦日の晩にケルン駅前に集まった若者たちの中には、「アフリカ系だけでなく明らかにアラブ系の人たち、難民と見られる人たちが多くいた」とその場に居合わせた人たちは証言している。

ケルンが属するノルドライン・ヴェストファーレン州のイェーガー州内務相(社会民主党、SPD)によると、防犯カメラの映像などから犯人だと判明する人物のうち、身元の分かった男性は1月11日現在で19人。その中の13人はモロッコ出身だという。また、19人の内の10人は、母国では迫害の恐れがあるか、あるいは内戦などのために身に危険があるという理由で母国を後にし、ドイツに庇護を申請している人たちで、その中の9人は昨年9月以後にドイツで初めて登録されたという。残りの9人はドイツに不法滞在していると見られる。

ドイツ連邦警察の1月12日の発表によると、身元の分かった男性は32人。上記の州内務相の発表と多少食い違うが、内訳は、アルジェリア人9人、モロッコ人8人、イラン人5人、シリア人4人、イラク人、セルビア人、米国人各1人、ドイツ国籍者3人となっている。この内の庇護申請者は22人に及ぶ。

ここで一言説明を加えると、北アフリカのモロッコやアルジェリアは安全な国とされ、そこの住民に身の危険があったり、彼らが迫害されたりしているわけではない。ただ、彼らの多くは貧困に苦しんでおり、金銭を稼ぐために一家の長男などをヨーロッパに送り込んでいる家庭が多いという。過去には地中海を渡りイベリア半島からヨーロッパに入ることが多かったが、昨年9月以後にはトルコに行き、そこからバルカン半島経由でドイツに入国し、シリア人であるなどと偽ってドイツに庇護を申請するケースが増えていた。

一方、「当夜ケルン駅前で男性に煩わされた」と事件後に警察に届け出た女性の数は1月12日までに560人を超えた。ある若い女性は、自分と女友達が大晦日の晩にケルン駅前で酔っ払って大声で騒ぎ立てる男たちの行列を縫って走り抜けた時の体験を、「最初にお尻をつままれ、次に胸、そして最後には身体中に触れられた」と証言している。

この事実は、当然ながらドイツ人を黙ってはいさせない。特に、内戦や紛争地域から逃れて来たとしてこの国に助けを求め、この国の恩恵を被っている人たちに対する怒りは大きい。以前から難民受け入れに反対を示す極右はすかさず声を張り上げ、早速デモを繰り広げた。この中からは、移民と見られる人たちに怪我をさせた人たちまで出た。1年あたり前から「西洋のイスラム化に反対する愛国的ヨーロッパ人(ペギーダ)」と名付けて特に旧東独地域で毎週デモを繰り返すグループへの参加者は急増している。

政治家も黙ってはいられない。口を揃えて「大晦日の晩のような事件は2度と起こってはいけない」、「ドイツでは女性の尊厳を傷つけるような行動は許されない」、「女性が行くと危ない no-go-area などドイツにあってはいけない」と連発する。そして早速、「犯罪者は庇護申請者であっても本国に送還する」、「送還の基準を厳しくする」、また以前からEU法制関連で改正が必要だったが遅れていた「強姦規制を改める」などの法改正の意図を発表している。

しかし政治家の発言はほんの気休めでしかない。実際に難民や庇護申請者を送還することは非常に難しいのだ。ジュネーブ協定で難民を戦地に送還することは禁じられているし、彼らの中には身分を証明する書類を持たない人たちが多く、どこの国民か正確には分からないケースも多い。また国籍が分かっても、当人を引き取らない国も沢山あるという。送還されるべきで送還された人物は、昨年のベルリンの例では、4000人のうち5人に過ぎなかったと言われる。

このケルンの大晦日事件で明るみに出た問題は、ドイツ国民の一部が、自国にいながら身に危険を感じて恐怖感を抱くようになったことだ。また国民の大半が、昨年1年間で合計110万人にも達した新しい難民を、これ以上受け入れることは無理だと感じ出していることだ。メルケル首相の率いるキリスト教民主同盟(CDU)の姉妹党であるバイエルン州のキリスト教社会同盟(CSU)のゼーホーファー党首は、ドイツが受け入れる難民の数を年間20万人に絞るべきだと主張している。現在もまだ毎日引き続きドイツにやって来る難民の数、1日約2500人で計算すると、3月末にはその数が20万人に達する。ある世論調査では、難民受け入れに「上限を設けることは正しい」とする人が48%で、「正しくない」とする44%を上回った。

国民への新年の挨拶では難民問題に関しまだ「我々はやり遂げます」と語ったメルケル首相は、この1月13日に行われた連邦議会のケルン事件の討論で発言していない。CDUを代表して発言したのは右派の有力議員であるボスバッハ氏で、彼は「我が国は克服できないほどの困難な課題に直面している」と間接的にメルケル首相の難民政策を批判した。 メルケル首相の難民政策、つまり迫害されている人たち・内戦地域から命辛々逃げてきた人たちをドイツは上限無しで受け入れるという政策は、CDU 内でもだんだん批判的に見られ出している 。

メルケル首相はまだ大多数の党員の支持を得ている。しかし同首相が難民数の減少のための対策として考えているEU規模の解決案は機能しない。それぞれのEU加盟国が難民を人口数や経済力などに応じて分担して受け入れることには、旧東欧諸国が初めから反対していた。難民受け入れに寛大だったスウェーデンはついに国境を閉めてしまったし、ドイツと地続きのデンマークも先週から国境検査を再開し、難民の受け入れを拒否している。難民流出の主な原因であるシリア内戦の停止に関しても、一度は米国やドイツ代表らと共にウイーンに集まったロシアやトルコ代表、サウジアラビアやイラン代表がそれぞれ新たな問題を抱え、解決策は当分出てきそうにない。

CDUの支持率は 昨年秋頃から数%減少している。メルケル首相自身の支持率も以前に比べてぐっと低下している。上記のボスバッハ議員の支持率がメルケル首相を超えているのも注目に価する。この1月15日に発表された世論調査「ポリットバロメーター」で、国民の過半数(60%)が初めて、「数多い難民はドイツの力に余る」と 答えた。昨年12月にそう答えた人たちはまだ46%に止まっていた。

今年はドイツ国内で五つの州選挙がある。そのうちの三つは3月だ。だから各党の政治家が移民・難民政策の行方次第で得票を取り損なうのではないかと心配し出した。旧東独地域のザクセン・アンハルト州では、新しい右派系の「ドイツのための選択肢(AfD)」が二桁の票を得るかもしれないと言われている。その得票は既存の主要政党から流れていく。人間の命と尊厳を大切にし、生命の危険にさらされている人々に生きる場所を提供するという尊い、ドイツ人が「ヨーロッパの共通の価値観」と強調する価値観を、ドイツはどこまで単独で守り抜けるだろうか。自国民の無事を第一に考えるのは当然だとする声が、あちこちから聞こえて来る。私が強く懸念するのは、難民問題による社会の急激な右翼化である。

ケルンの事故を受けて、ニューヨークタイムズは「ドイツは国境を締め、難民を国外追放し、メルケル首相は辞めければならない」と書いている。BBCは、ドイツを自国の状況と比較し「ドイツの問題の方が大きい」と報道。ベルリンに住むガーディアンの米国人女性記者は「社会の秩序が崩れていく気配がする」とまで記している。フランスの新聞は、メルケル首相を「ナイーヴだ」と書いた。東欧諸国の新聞は、「ムスリムは一切受け入れない」(スロバキア)から「ケルンの事件は、難民受け入反対の、今までに一番力強いアーギュメントを提供する」(ハンガリー)、「難民問題はEU域外で解決されなければならない」(ポーランド)などとコメントしている。ポーランドは「ケルンはドイツを変えるだろう」とも付け加えている。

 

 

 

One Response to ケルン事件の衝撃 — 追い詰められるメルケル首相

  1. 若大将 says:

    大変興味深く読ませて頂きました。
    メルケル首相の、人道的英断を裏切るような事件を、残念に思います。
    何故、このような事件が起こるのか、自然発生的?なのか、あるいは右翼の政治的意図のある策動があったのか?・・
    先のフランスに見られるような右傾化がドイツでも顕著になるのか?またメルケル首相の周辺も大変気になります。