ベルリンは福島を忘れないー「かざぐるまデモ」とチャリティー・コンサート

永井 潤子 / 2015年3月15日
Foto: Uwe Hiksch

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福島第一原発事故の4周年を前にした3月7日、土曜日の午後、快晴に恵まれたベルリンで何百本ものかざぐるまが、風に吹かれてクルクルと回った。ベルリンの市民団体が主催した「かざぐるまデモ」に主催者発表でおよそ700人が参加し、再生可能エネルギーの象徴であるかざぐるまを手に、脱原発を叫んで市の中心部をデモ行進したのだ。

Foto: Uwe Hiksch

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この日のお昼過ぎ、ドイツ統合のシンボルであるブランデンブルク門前のパリ広場は、まるでお祭りのパレードが始まる前のような賑やかさだった。緑のぬいぐるみの等身大の熊が子どもたちの人気を集め、祭と背中に大きく書かれた法被を着たドイツ人や色とりどりの法被などを羽織って、ひょっとこやお多福のお面をかぶった日本人男女、さらにはコスプレの派手派手な格好をした若い日本人女性たちがうろうろしていた。緑の熊は、アベノミクスをもじってゼロノミクマと名付けられた脱原発運動のマスコットの熊で、日本からわざわざやってきたのだとか。広場にはブルーと黄色のかざぐるまがたくさん用意され、三々五々集まってきたデモ参加者たちに手渡された。中には去年の「かざぐるまデモ」で使った古いものを持ってきたり、硬い紙で自分で作ったかざぐるまを持ってきたりした人もいた。ベルリンの人気観光スポットであるブランデンブルク門前に来ていた観光客たちも、集会が始まる前から「何事か」と覗き込んでいた。

Foto:Tsukasa Yajima

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Foto: Tsukasa Yajima

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この「かざぐるまデモ」と集会は、ベルリン在住の日本人の市民団体、「さよならニュークスベルリン(Sayonara Nukes Berlin)」、ドイツの反原発市民団体「アンティ・アトム・ベルリン(Anti Atom Berlin)」や「ベルリン自然友の会(Natur Freund Berlin )」などの市民団体が共催したものだ。参加者の中にはベルリン在住の韓国人たちの姿も大勢見られた。集会はまず「ベルリン自然友の会」代表のウーヴェ・ヒクシュ氏の挨拶で始まった。

 福島で過酷な事故が起こって以来4年経った。残念ながらこの大きな原発事故も世界中の多くの人にとっては、すでに過去のものとなったようだ。しかし、このカタストローフの影響は、全然過ぎ去ってはいない。我々市民団体のメンバーが街頭に繰り出して行くのは、そのためである。我々は被害を受けた福島と福島周辺の人たち、それに原発のない世界実現のために運動する日本の市民たちに連帯を示すため、こうやってデモをするが、同時にドイツの市民にも福島は決して日本だけの問題ではないことを思い起こさせることを願っている。ヨーロッパでも新たに原発の建設を計画している国が増えている。我々は原発のない世界が実現するまでデモを続ける。自然エネルギーを意味するかざぐるまは、我々のデモには欠かせないものとなっている。

Foto: Uwe Hiksch

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ついでドイツ語と日本語で「思いのたけ」を述べるのは、ベルリン在住の日本人市民団体、「さよならニュークスベルリン」の梶川ゆうさんだ。

 福島事故から4年。もう4年、そして、まだ4年です。人間にとっては比較的長い4年という時間も、放射能から見れば刹那です。 この間に、怒りや驚愕、悲しみ、絶望といった感情が褪せてしまった人も少なくありません。でも永遠に故郷を失った人、子どもたちの健康に怯えて暮らさなければならない人たちが今でもいるのです。屈託無く暮らしたいと思う、その当たり前の願いが叶わないのです。

 チェルノブイリと福島があった後で、原子力と命とは共生できないということが、なぜ今もわからない人がいるのか、私には理解できません。

 きょう、私たちがここに集まったのは、意識をあらたにするためです。福島を決して忘れてはいけないことを、そしてこれは単に日本の悲劇なのではないこと、福島はいつでも、どこでも起こりうるということを。地球はただでさえも、もうかなり痛めつけられています。それをさらに放射能まみれにして、これからの世代に残していってはいけないのです。ですからここで、核のない未来を信じたいわたくしたちの希望を象徴した、かざぐるまを高く掲げて言いましょう。「わたくしたちは福島を忘れない」と。

 この後、梶川さんの呼びかけで福島の犠牲者だけではなく、放射能の犠牲になったすべての人のために黙祷が捧げられた。

Fotos:Tsukasa Yajima

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デモ行進にスタートする前には、自称「身体詩人」のカズマ・グレン・モトムラさんら数人の日本人男女によるパーフォーマンスが披露され、人々の注目を集めた。「このパーフォーマンスを見ているうちに、被爆者のことを思って涙が出てきた」と言う、「かざぐるまデモ」に初めて参加したドイツ人女性もいた。

Foto:Tsukasa Yajima

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Foto: Uwe Hiksch

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今年の「かざぐるまデモ」では、会津磐梯山のメロディーに合わせて「かんしょ踊り」を踊ることになっていたので、そこで緑の熊、ゼロノミクマの指導で「かんしょ踊り」のステップの指導と練習が加わった。さあ、いよいよデモ行進へスタート。カラフルなコスチュームのDJやプッペン・ムッケ・バンドのメンバーが乗る車を先頭に、Don’t  forget Fukushimaなどと書かれた横断幕をかかげた人たちやひょっとこやお多福、狐などのお面をかぶった「かんしょ踊り」のチームが踊りながら続く。先頭の車から流れる音楽は、会津磐梯山のメロディーをテクノ風にリミックスしたもの、それに混じって、ドイツ人のソーラードラム隊の鳴らすドラムの音で大変な賑やかさ。このドラム隊のドラムは、黄色く塗ったドラム缶に黒で放射能の危険マークが書かれているものだ。

Foto: Uwe Hiksch

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かざぐるまとともに掲げられたプラカードには「福島は警告する。世界中で脱原発を!」、「同じコインの表と裏、原発と核兵器」、「一度事故が起これば放射能汚染は国境を越えて地球規模に」「世界から原発が消えるまで、闘おう!︎」などの思い思いの言葉が記されていた。デモ行進は、ブランデンブルク門から東に伸びる大通り、ウンター・デン・リンデン通りから右折してショピング街のフリードリッヒ・シュトラーセに入り、ライプチヒ通りを抜けて終着点のポツダム広場まで約3キロのルートをシュプレヒコールしながら進んだ。シュプレヒコールの中には「再稼働反対」「原発止めよう」「子どもを守ろう」などの日本語のものもあった。お母さんやおばあさんに連れられた子どもたちも今年は特に多く、かざぐるまを持ったり、緑のゼロノミクマと手をつないだりして最後まで頑張った。

最終地点のポツダム広場ではまたミニ集会。東京から、たまたまベルリンにやってきた辛淑玉さんが、深刻な日本の現状を指摘した挨拶をした。

Foto: Uwe Hiksch

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 原発は金のなる木、そこには人が群がり、人が群がるところには暴力も発生する。犠牲者たちや被爆労働者たちは、沈黙を強いられる。すでに国土の3%は人が住めないところになっている。もしもう1度4号機などで問題が起こったら、私とあなたたちはもう会うことはできない、そういう厳しい状況に今はなっている。

 ポツダム広場では女性に仮装した太った男性が踊りの輪に飛びこんでくるなどのハプニングもあった。2015年の「かざぐるまデモ」を締めくくったのは「アンティ・アトム・ベルリン」のベアント・リーゼック氏だ。彼は「日本が原発を再稼動しようとしているのをはじめ、ヨーロッパでもイギリスからポーランドまで、世界ではインドなど、原発の新設を計画している国が増えている。そういう事態に直面している今、原発反対運動の力を弱めてはいけない」と強調し、「世界中の全ての原発を即時停止するよう求めよう!」という呼びかけでスピーチを締めくくった。

Foto: Uwe Hiksch

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一方、福島原発事故から4周年にあたって、ベルリンでは数多くのチャリティー・コンサートが催された。トップを切ったのは3月3日、ベルリン・フィルハーモニーの大ホールで行われた日本とドイツの音楽家たちによるコンサートだった。85歳の指揮者、荒谷俊次氏の指揮によるライプチヒ管弦楽団と日本のベートーベン記念合唱団はまず、髙田三郎作曲の合唱組曲「水のいのち」を演奏したあと、ベートーベンの「第九」を演奏した。特に「第九」は、楽団員や合唱団員の情熱が伝わってくるような演奏で、その圧倒的な音楽の力が聴衆を感動させた。ソリスト4人のうち、ソプラノパートをベルリン在住の歌手、百々あずささんが担当したが、百々さんは日本のスポンサーとともにコンサートの企画にも関わったという。合唱団のメンバーの中には福島など東北大震災の被災地出身の人も多く、ベルリンのフィルハーモニーでのチャリティー・コンサートで「第九」を歌えたことに感激していた人が少なくなかったと聞く。このコンサートでの募金は1万100ユーロ(約130万円)にのぼり、全額が、社団法人「ハーモニー・フォー・ジャパン」とNPO「希望 ベルリンー日本」に二分して送られた。「ハーモニー・フォー・ジャパン」は、福島など被災地の合唱活動に特化して支援する組織だという。

大震災当日の3月11日にはベルリン在住の指揮者、渡辺麻里さんが、リンデン教会で日本とドイツその他の音楽家と協力して、大震災の犠牲者を偲ぶコンサートを開いた。このコンサートでは、仙台在住の作曲家、吉川和夫氏が2011年3月11日のために作曲したMoment ob Silenceが渡辺麻里さんらのピアノの連弾で披露され、特に注目された。ベルリンの「なごみアンサンブル」による童謡メロディー「日本の四季」は、故郷を離れている日本人たちの郷愁を誘ったが、ドイツの若者たちによるヴィヴァルディー作曲のフルート、オーボエ、ファゴットの協奏曲という珍しい曲の響きも、しみじみと心に沁みた。このほか、シューベルトやメンデルスゾーンの曲、さらにはベンジャミン・ブリトン作曲の「キリエ」など、幅広いプログラムの、そして音楽的レベルの高いチャリティー・コンサートだった。このコンサートでの募金1.690ユーロ(約22万円)は「NPO福島の子どもの保養プロジェクト、沖縄球美の里」に送られた。

同じ日、シュヴァルチェ・ヴィラでは、ベルリン在住のピアニスト、新井眞澄さん、井村理子さん、ヴァイオリニストの星—ベルク秀圃さん、フルートの飯塚彦さんの4人の日本人音楽家による「福島の事故の犠牲者を追悼するコンサート」が開かれ、バッハ、モーツアルト、ショパン、ブラームスなどの曲が演奏され、同じく大成功を収めた。このコンサートでは入場料の純益の全額が、両親を失い福島の仮設住宅に住む子どもたちの学費の足しになるよう、「NPO Beans Fukushima」に送られることになっている。

これからもチャリティー・コンサートや募金のためのバザーなどが、3月末まで続く。

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