パリの風刺週刊新聞襲撃事件に対するドイツの反応−1

永井 潤子 / 2015年1月11日

 

新年早々に起こったパリの風刺週刊新聞「シャルリー・エプド」への襲撃事件は、ドイツ社会にも大きな衝撃を与えた。事件発生以来のベルリンの表情やドイツでの動きをお伝えする。

在ドイツ・フランス大使館は、統一後のベルリンのシンボルとなっているブランデンブルク門前の、その名もパリ広場にある。1月7日、風刺を売り物とするパリの週刊新聞「シャルリー・エプド」が、イスラム過激派と見られる自動小銃を持った男たちに襲撃され、編集者や風刺画家を含む12人が殺害された事件が報道されると、弔意を表すためにフランス大使館を訪れる人たちの姿が引きも切らず、大使館前は短時間のうちにバラや百合、カーネーションなどの花束やローソク、犠牲者の追悼と被害を受けた新聞社への連帯の気持ちを表す言葉が書かれたプラカードなどで埋まった。(ついでだが、2011年3月11日、東日本大震災が起こった直後、ベルリンの日本大使館前でも同じような光景が見られた)。ベルリンはもともと歴史的にも、フランスで迫害され、逃れてきた新教徒のユグノー派の影響が強い街でもあり、現在のベルリンには約1万5000人のフランス人が住んでいる。また、1963年に結ばれた独仏友好条約の50年にわたる青少年交流計画で、フランスに滞在したことのあるベルリン市民も少なくない。そうした人たちにとっては、事件の衝撃は、計り知れないほど大きい。事件当日の夜、フランス大使館前ではインターネットの呼びかけに応えてベルリン市民たちが自発的に連帯デモをしたが、そこには殺害された風刺新聞「シャルリー・エプド」の編集者や漫画家たちのポートレートが並び、デモ隊員たちは同新聞に対する連帯の言葉「私はシャルリー」のフランス語「Je suis CHARLIE」と書かれた紙を掲げていた。

この事件はイスラム過激派による残酷なテロ事件というだけではなく、西側世界が尊重する基本的な権利、「表現の自由、言論の自由」に対する真正面からの攻撃だったことが、さらにその衝撃の度合いを深くした。今回の事件のイスラム過激派の犯人がパリ生まれのフランス人であったこと、つまりヨーロッパ諸国で育った者が自国でテロを起こす脅威の存在だということを見せつけたのも衝撃的だった。「恐れていたことがついに起こった」と受け取ったドイツ人も少なくなかったようだ。ドイツにも移民の背景を持つイスラム教徒の若者は何十万人も暮らしているが、そのうちの一部、ドイツ社会に不満を持つ過激派の若者たち(ドイツで生まれてドイツ国籍を持つ人も少なくない)が、中東の武力組織でテロリストとしての訓練を受け、そうした若者たちがドイツに戻ってテロ事件を起こす危険がかなり前から憂慮されていた。「ドイツでも同様の事件が起こる可能性がある」という不安が、ドイツの今後の政治に及ぼす影響が注目される。さらに、フランスの警察や特殊部隊が、新聞社襲撃事件の容疑者、サイド・クアシとシェリフ・クアシの兄弟を必死で追跡中の9日に、ユダヤ人経営のスーパーマーケットで、同じ国際テロ組織のアルカイダ所属と見られる犯人による人質襲撃事件が同時多発的に起こったことも、イスラム過激派テロ組織の底知れない力を感じさせ、人々を震撼させた。

事件発生当時ロンドンを訪問中だったドイツのメルケル首相は、イギリスのキャメロン首相とともにテレビカメラの前に姿を見せ、「襲撃事件は、我々が大切にする価値観そのものへの攻撃だ」と批判した。ガウク大統領も「フランスの風刺新聞への襲撃は、言論の自由に対する攻撃だ」と強く非難し、フランス国民への連帯の気持ちを表明した。その一方でガウク大統領は、9日に大統領官邸で開かれた恒例の新年会の挨拶では、パリのイスラム過激派による襲撃事件によってドイツ社会が分裂することのないよう、警告した。今回の事件をきっかけにドイツ国内に住むイスラム教徒への排斥運動が高まることを懸念しての警告である。ドイツの各政党代表もそれぞれ見解を表明したが、その反応は様々で、社会民主党のガブリエル党首が各政党や労働組合、教会などに超党派での抗議デモを呼びかけたことに対して不協和音も生まれている。ドイツでは最近東部ドレスデンを中心にPegida(「西洋のイスラム化に反対する愛国的なヨーロッパ人」というドイツ語の頭文字を連ねたもの)という運動が勢いを増してきている。ネオナチ信奉者も含むと見られるこの運動が毎週行う月曜デモでは、参加者たちは旧東ドイツ社会の変革を求める合い言葉、「Wir sind das Volk 私たちが人民だ」を唱えながら難民を制限するよう求める要求などを掲げ て行進し、その参加者は増える傾向にある。今後の月曜デモの参加者が今度の事件で増えるのではないかと予想されているが、その一方、ミュンヘンやケルンなど各地で、こうした外国人排斥のデモに反対するデモも行われている。

ドイツのテレビは、当然のことながら事件発生以来、事件の経過などを連日大きくニュースで取り上げるとともに特別番組を組んで、事件の背景分析やドイツへの影響などについての解説を伝えている。紙媒体も一面トップをはじめ、大きな紙面をさいて事件について報道し続けているが、その中でもこの週末(1月10日/11日)版の南ドイツ新聞(Süddeutsche Zeitung)が印象に残った。ミュンヘンで発行されている同新聞は一面で「フランスは不安な1日を過ごした」というタイトルの記事を写真付きで載せ、何面にもわたって関連記事を載せるとともに4ページにわたる特集記事を組んで、パリの風刺新聞「シャルリー・エプド」への連帯を示した。特集記事の一面には「愛は憎しみより強い」というタイトルのパリの風刺新聞に掲載された大きな漫画とともに、シュテファン・ウルリヒ記者の「自由」という記事、ここではフランスが検閲なしに自由な意見を新聞にのせることを許された最初の国の一つであることやフランスの風刺の伝統についての説明の後、「1月7日の襲撃事件の後、『シャルリー・エブド』は現代社会において表現の自由を守るシンボルになった」と締めくくられている。2面、3面では犠牲となった12人の写真とそのキャリア紹介、それに編集部の様子や同新聞に掲載された漫画3点、「ヨーロッパというふるさと」というタイトルの記事(サブタイトルは、「イスラム過激派とイスラム教徒を憎む人たちへの回答」)では、移民社会が今後目指すべき方向が示されている。最後のページは、「もはや自由ではない」というタイトルで、南ドイツ新聞の戯画作家たちの風刺漫画7点が、犠牲となった同僚たちに捧げられている。

この事件がドイツ社会に与える影響は、様々な面にわたると思われるが、midori1kwh.deでは、今後もテーマとして取り上げ、お伝えしていくつもりである。

 

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