人にはいつでも選択肢がある

こちゃん / 2014年3月16日

ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺を記憶・記念するためにエルサレムに設立されたホロコースト追悼記念館、ヤド・ヴァシェムが設立60年を迎えた。そのことを記念する式典がこのほどドイツ・ヤド・ヴァシェム友の会の主催によりベルリンで執り行われた。その式典に参列した ヨアヒム・ガウク独連邦大統領の言葉を紹介したい。日本のことを考えれば考えるほど印象的だったからだ。

ガウク大統領は「ユダヤ人絶滅の罪を負うのは我々ドイツ人だった」と明確に語り、そのことから、ドイツはユダヤ人とイスラエル国家の将来に対し「特別な責任」を持つと結論づけた。そしてドイツが第二次世界大戦直後から長い間、ナチス・ドイツのユダヤ人絶滅政策の犠牲者たちに広範囲にわたって直面することを避けて来たことにも言及した。

大統領にとり、このような責任というものはナチスの犠牲者に対するものだけではない。またドイツ人のみの責任にも留まらない。現在世界の各地で 人々が 辱められ、権利を奪われ、殺害され、国から追放されるというような紛争が起きているが、「我々は彼らを守り、出来る限りのことをするために、行動に出るべきだ」と強調した。旧東独の出身で、旧東独の反政府分子たちを助けてきた経験を持つ元牧師である大統領は、諸外国の政府機関に訴えているだけではない。

ナチス時代に自身の身の危険も考えずに、ユダヤ人を匿ったり真実を明かさなかったりして彼らを救い、ユダヤ人から「諸国民の中の正義の人」と名付けられ、ヤド・ヴァシェムに名前を連ねている非ユダヤ人は、現在までに世界のあちこちで2万4000人見出されている。大統領は彼らの勇気を喚起し「人間は抑圧と死の脅迫の下でも選択肢を持っていることをこの『諸国民の中の正義の人』たちが示している」と語った。「ある時は行動を控えることで、またある時は積極的に援助の手を差し延べることで。そしてそのための前提は政治的地位でも宗教でも学問でもなく、他人の運命に対する思いやりと私心のない行動だ」と述べた。

ちなみに、このことは日本人として 唯一「諸国民の中の正義の人」としてヤド・ヴァシェムに名を列する杉原千畝(ちうね)氏にも通用する。第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた同氏は、ナチス・ドイツによる迫害のためにポーランドなどから同地に逃れて来た難民の窮状に同情し、外務省からの訓令にも関わらず、難民約6000人に日本通過の査証を発給し、彼らの命を救った。 外務省から罷免されることも予期していたが、「人道上どうしても拒否出来ない」という理由で、日本国の求める受給条件を満たさない者に対しても独断で通過査証を発給したのだ。

なお、終戦をルーマニアで迎えた杉原氏は、1947年春、家族と共に帰国するが、その直後に外務省から退職通告書を突き付けられ、同省を去る。そしてその後の外務省関係者の同氏に対する敵意と冷淡さは、2000年の河野洋平外務大臣(当時)による公式の名誉回復まで一貫して続いたという。1985年のヤド・ヴァッシェム賞受賞から15年、1986年の逝去からも14年が経っていた。

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