小沢一郎氏のドイツ訪問

永井 潤子 / 2012年10月28日

新党「国民の生活が第一」の代表、小沢一郎氏を中心とする日本の国会議員団(松崎哲久、牧義夫、岡島一正衆議院議員、森ゆうこ参議院議員)が10月16日から20日までドイツを訪問した。ドイツの脱原発と再生可能エネルギーの実情視察のためで、17日と18日は「黄金の十月」の紅葉が美しい首都ベルリンに滞在、ドイツの政治家たちや再生可能エネルギー協会の代表などエネルギー関係者たちと話し合ったり、近郊の大規模太陽光発電施設を視察したりした。ベルリン在住の記者たちにも取材のチャンスが与えられたので、私もその一部に参加した。小沢氏の脱原発の本気度を、この目で確かめたいと思ったからである。個人的なことだが、実は私は中学時代の一郎氏を知っている。今回の取材は、一郎氏の新たな一面を知る機会ともなり、印象深いものとなった。

17日のお昼過ぎ、ポツダム広場近くの連邦環境省の前にテレビカメラなどを構えた黒い髪の人たちの集団が道行く人たちの注目を集めた。ドイツのアルトマイヤー連邦環境相との会談を終えた小沢代表に“ぶら下がり取材”するために集まった日本のカメラマンや記者たちだった。“ぶら下がり取材”というのは、現在日本に住んでいる人には説明の必要のない言葉かもしれないが、長年ドイツに住む私にはあまりなじみのない言葉である。会場を設定して行なう記者会見ではなく、玄関先や移動中の路上などで記者たちが要人をとり囲んでする取材を意味する。

ドイツは福島の原発事故の僅か3カ月後に2022年までに段階的に脱原発を実現することを決めているが、アルトマイヤー連邦環境相は会談で「前から反原発の動きはあったが、福島の原発事故で、国民の8割がもう原発はダメだと考えるようになった。すべての政党が脱原発に賛成、国会議員のなかで脱原発に反対しているのはほんの数人だけだ」と説明したという。環境相はまた「ドイツは原発にかわるエネルギーとして2050年までに発電量の8割を再生可能エネルギーで賄うという目標を掲げている。再生可能エネルギーの比率を高めることで新たな投資を増やし、経済力を維持しながら脱原発を進めている。風力や太陽光など、あらゆる代替エネルギーの開発に今後も取り組みたい」とも述べたといい、小沢代表は「日本の産業界の代表にも聞かせてあげたいくらいの大臣の意思表示だった」などと語っていた。小沢代表は「ドイツの脱原発、再生可能エネルギー促進についてのドイツの意気込み、国際競争力を維持していけるように配慮しながらエネルギー転換に努力しているドイツには驚いた」とも語っていた。意見交換の席でアルトマイヤー連邦環境相から日本の対応を聞かれ、「現在の与党の民主党も最大野党の自民党も原発維持の方針を変えておらず、10年という期限を切って脱原発の方針をはっきり打ち出しているのは野党の我が党だけだと答えたら怪訝な顔をされ、こっちとしてはカッコ悪かった」という。ドイツ側は福島原発事故の後日本が脱原発への道を歩んでいると思っていたようだ。そんなエピソードを紹介した小沢代表は、「これまで日本は原発安全神話に惑わされて再生可能エネルギーの面で努力が足りなかったが、やる気になれば日本でもやれる。むしろ日本の方がドイツより太陽に恵まれているし地熱の可能性もある。過酷な原発事故を起こした当事者である日本こそ率先して脱原発の努力をしなければいけない」と強調していた。

その後はベルリン郊外のブランデンブルク州にある大規模太陽光施設を視察した。50ヘクタールという広大な敷地に一定方向を向いた太陽光モジュールが見渡す限り設置されているこの施設は、ベルリンに本社のある新しいベンチャー企業、saferay社が昨年12月、僅か2カ月で完成させたという。ベルリンに境を接するここは昔飛行船ツェッペリン号が発着した飛行場跡で、ドイツ統一の後は長年空地として放置されていた。飛行場跡なので木が生えていなかったのも好都合だった。マネージングディレクターのシュルツ博士によると、この施設は自社投資のみの独立経営を目指しており、太陽の移動に伴って角度を変える最新型太陽光モジュールを設置しなかったのは、費用を抑えるためだったという。移動型の発電モジュールは効率的だが、機械の部分の保守にお金がかかる、そのため単純なモジュールを一番太陽が多く当たる方向に向けて多数設置、滑走路の跡も残る広大な敷地では雑草も生えにくいのでメンテナンスにあまりお金がかからないという利点がある。この施設の発電能力は21メガワット、今では6000戸の家庭に電力を供給しているという。ドイツのソーラー関係の企業は安い中国製のモジュールに押されて経営が苦しくなっているところが多いが、saferay 社はドイツのキューセルズ社のモジュールを使用、ライバルの中国にも進出していることを明らかにしていた。

この視察で脱原発弁護団全国連絡会代表などを務める著名な“脱原発弁護士“、河合弘之氏が小沢代表の視察団に加わっていることを知り、小沢氏の本気度をはかる目安になった。

2日目の午前中、ドイツ連邦再生エネルギー協会のシュッツ会長との話し合いにはジャーナリストも同席を許されたため、その実際を見ることができた。シュッツ会長はチャートを見せながらこの協会が再生可能エネルギーの諸機関・団体などの上部組織で、5000の企業の他3000人の個人も会員になっていることやドイツにおける再生エネルギー産業の発展状況について具体的に説明した。1時間以上にわたる話し合いで特に印象に残ったのは、法律家シュッツ会長の次のような発言だった。「私自身が原発はダメだと思ったのは、26年前チェルノブイリの事故が起こったときだった。人間が100%制御できない原発事故が人口の多いドイツで起こったら大変なことになると思い、以後、再生可能エネルギーの発展に努力して来た。人口が多いという点では日本も同じでしょう?」。もうひとつは河合弁護士が最後に「日本の産業界は再生可能エネルギーは儲からないと考えている。儲かるという話をしていただけませんか?」と冗談めかしてお願いしたことに対するシュッツ会長の答えだった。会長は会員のなかに自宅のガレージで小さく風力発電を始めたある人がその後再生エネルギー関係の事業を発展させ、成功して今ではシュレスビッヒホルシュタイン州で一番の稼ぎ頭になっているという実例を挙げたのだった。

ついでだがこの話し合いの模様を最後まで追っていたのは、いわゆるソーシャルメディアの人たちだった。日本からの同行記者団のなかに大手のマスメディアだけではなく、こうしたソーシャルメディアの代表が含まれていたことも、小沢氏らしいと言えるだろうか。

その日の午後は連邦議会環境委員会のブーリング=シュレーター委員長 (女性、野党・左翼党)、日本の緑の党の設立を支援している緑の党のへーン議員(女性)らと議員会館で会談、彼女たちから「ドイツ連邦議会のどの政党も日本の脱原発、再生エネルギー開発を支援する用意がある」という勇気づけられる言葉をもらって一行のベルリンでのタイトなスケジュールは終わった。

「脱原発の認識は一般国民の方が進んでいて、永田町と霞ヶ関が遅れている」こういう言葉を小沢一郎氏から聞くとは思わなかった。この他ベルリンでの小沢代表の発言のなかで私にとって特に印象が深かったのは、再生可能エネルギーは高くつくという主張に対する反論とプルトニウム、核武装についての発言だった。「原発以外の新しいエネルギーを開発するには確かにお金がかかるが、原発には最終処分などの問題がある。ましてや事故が起こったら、どれほどの莫大なお金がかかるか、これからまだまだ放射性物質が発散し続ける。原子力エネルギーは安い安全なエネルギーと言われて来たが、安いどころではない。そして事故が起これば国民の生命、生活が駄目になってしまう。電気代は安い方がいいが、新しいエネルギーは安全で環境にもいい。脱原発は地域の発展にも貢献する」これは私たちが言っていることと同じではないか! また、次の発言も意外だった。「日本にはすでに相当多くのプルトニウムが蓄積されているが、核武装はしないというのが国民の総意だと思う。核武装論というのが時々右翼の政治家から突発的に出るが、国民の総意はそうではない。核武装は軍事的にも政治的にもプラスにはならないというのが私の前からの持論である。国際政治の上でも日本政府はそれをはっきり表明しなければいけない」。

こうした小沢代表の発言を聞いて私は驚くことが多く「政治家小沢一郎の考えを私はこれまで何も知らなかった」と反省した。私の小沢代表についてのイメージは日本のマスメディアの報道や時々手に入れる週刊誌のゴシップ情報に知らず知らずのうちに影響されていたのではないだろうか。ベルリン最後の“ぶら下がり取材”で「今回のドイツ側との話し合いで脱原発を目指す自分たちの考えが正しいことを確信した」と語っていた小沢代表。国民の60%以上が脱原発を望んでいるのに、政権党の民主党も最大野党の自民党も原発推進の姿勢を変えていないという日本の状況のなかで、脱原発という困難な目標実現のために同氏の政治的影響力が発揮されることを願わずにはいられなかった。

実は私は50年以上前の学生時代に小沢一郎氏のお姉さんの家庭教師をしていたのだが、一郎氏はその頃中学生。私の記憶に間違いがなければ、中学3年まで母親とともに岩手県の水沢市で暮らしていた一郎氏が東京の高校に入るため東京に移って来たときに初めて彼の姿を小沢家で見たように思う。一郎氏が政治家として活躍する様子はドイツから眺めていたわけで、今回政治家としての小沢一郎氏に初めてお会いしたのだった。ベルリンでの公式スケジュールが終わった後、連邦議会前でくつろぐ小沢代表に思わずベルリンの印象を聞いたところ破顔一笑「緑が多いね。だから緑の党が生まれたのかな。紅葉もきれいだし、お天気もよかったし……」と嬉しそうな答えが返って来た。50年ぶりにお会いした一郎氏から珍しい笑顔を引き出すことができたのは、嬉しいことだった。

一行はこの後南ドイツ・バイエルン州の州都・ミュンヘンに移動、需要の2倍以上の電力を再生可能エネルギーで生産するメルケンドルフ村などを視察した。

写真撮影:梶村太一郎

 

 

7 Responses to 小沢一郎氏のドイツ訪問

  1. Kazuhiko Yamaki says:

    永井さん、お久しぶりです。この三月、ベルリンでのワセオケの際にちょっとだけお目にかかれましたが、忙しくてそのままになってしまい、失礼しました。この記事を家内と一緒に拝読しました。とてもいい内容で、勉強になりました。また、小沢一郎氏に関する御自身の御関係、そして、政治家小沢一郎に対する見方の変化等、とても永井さんらしい記事だと存じました。日本の脱原発を実行するためには「生活が第一」が頼りです。公約違反の「消費税増税」決定を批判して、与党の立場をあえて捨てた「生活が第一」の人々の「脱原発」の意志はしっかりしたものだと思います。家内からもよろしくとのことです。これからもお元気でますますご活躍ください。早稲田大学 八巻和彦

    • じゅん says:

      珍しい方からのコメント、大変嬉しく、懐かしく拝見いたしました。政治家としての小沢一郎氏に今回初めて接して、いろいろ考えることがあったのでした。反脱原発派が「ドイツの脱原発はうまくいっていない」などと喧伝しはじめているいま、脱原発を望む国民は小沢氏の影響力を利用すべきだと思ったりもしています。ベルリンの”みどりの魔女たち”の原稿をこれからもお読みいただけると嬉しいです。奥さまにもくれぐれもよろしくお伝えください。じゅん(永井 潤子)

  2. Tazuko Nawrocki says:

    永井さま
    又永井さんのおかげでいろいろ興味深いないようの記事を読ませていただきました。
    小沢一郎氏の週刊誌の記事しか私の頭になかったので、いい勉強になりました。日本の友達に転送します。
    多津子・ナウロッキー

  3. Koba Kenzo says:

    政治には興味を持っています。長くドイツに住んでしまい、日本の政治とはかけ離れてしまいました。
    しかし、老いて行く自分を振り返り、そして祖国日本をおもえば、憂う、こと大です。
    敗戦によって、去勢され、洗脳され、そしていまだにアメリカの占領下という日本を、最近知りました。
    小沢氏が日本のメディアに叩かれ、そして潰され。しかし、小沢氏は頑として政治家であること。敬服します。
    我々、日本人、所詮アジアの民です。アジアの民として共存共栄の政治が生まれることを切に願っています。
    その為には、右翼とか左翼といった垣根を越えて、国として独立を宣言し、国民の為の政治を実行してくれる事を
    小沢氏に期待しています。そして、多くの困難が伴うと思いますが、脱原発を力強く進めていただくことを、小沢氏に
    お願いしたい。koba_nack

    • じゅん says:

      コメント、ありがとうございました。この原稿を読んでくれた日本に暮らす私の友人、知人のほとんどの反応は「それでも小沢氏は信用できない」というものでした。何故みんながこれほどの拒絶反応を示すのか、また今の小沢氏の言動をマスメディアの多くがなぜ無視するのか、ずっと考え続けています.

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