ベルリン映画祭で上映された「Nuclear Nation」

あきこ / 2012年2月23日

今年のベルリン国際映画祭で上映された3本の原発関連の映画(「Nuclear Nation」、「friends after 3.11」、「無人地帯」)のうち、とくに心に残った舩橋淳監督の「Nuclear Nation」と同監督へのインタビューについて書いておきたい。ベルリン国際映画祭の2日目にあたる2月10日、「Nuclear Nation」がワールドプレミアとして上映された。19時半からの上映開始にあわせて19時に会場に到着したが、すでにかなり長い列ができていて、この映画に対する関心の高さが伝わってくる。会場入口付近には、舩橋監督もすでに姿を見せていた。

満席(座席数300)の会場で、舩橋監督が紹介されたあと、上映が始まった。埼玉県加須市にある旧埼玉県立騎西高校内に設置された避難所で生活する福島県双葉町の人たちの春から秋にかけての生活風景、人々の語り、避難所から別の場所に移っていった人たちの新しい生活空間での様子が克明に描き出される。また、たった2時間だけの一時帰宅を許された人たちにも同行し、許されたわずかな時間を惜しみながら、自宅から思い出の品を持ち帰ったり、津波で亡くなった家族への思いに浸ったりする人たちの姿が映し出される。避難した人たちをつなぎとめ、原発が立地された市町村の協議会で苦悩する町長の姿、それとは対照的に描かれるのが、協議会の場と言いながら、平気で中座する大臣たちの姿である。映画は145分、かなり長いドキュメンタリーであったが、途中で退場する観客はいなかった(注記しておくと、とくに映画祭期間中の上映では、作品が気に入らなければ途中で席を立つ人が多い)。終了後、拍手がなかなか鳴りやまない中、舩橋監督が舞台に再登場し、双葉町の井戸川克隆町長からのビデオメッセージを紹介した。「原発事故によっていろいろなことを経験したが、このような経験は二度と世界の人にはしてほしくない」という町長のメッセージに、客席から大きな共感の拍手が送られた。

「みどりの1kWh」のジャーナリスト二人が、上映の翌日(2月12日)、舩橋監督をインタビューする機会を得たので、観客との質疑応答も踏まえて、以下に舩橋監督の言葉を記しておきたい。

「父親は広島で被爆、叔母を失った被爆2世として、子どもの頃から祖父や父親から広島の話を聞いて育った。しかし広島については、すでに映画としてほぼやり尽くされた感があった。今回の福島の原発事故を通して、放射能汚染によって様々な形で虐げられている人たち、苦しんでいる人たちを見て、映像に納めなければならないと思った。劇映画を作る場合は、何から何まで時間をかけて計画しなければならないが、とにかく体感スピードでカメラを回し続けるというドキュメンタリーの手法はニューヨークで9.11の時に経験していたので、今回もほぼ衝動的に撮影を続けた。しかし、自分自身があまりにも原発のことを知らなさすぎることを思い知らされ、毎日ずっとメディアやネットを通して情報を集めた。その中で、日本政府や東電の出す情報と、BBCやCNN、あるいはアメリカのグリーンピースから得る情報があまりにも違うことに徐々に気づいていった。日本政府や東電の言うことを鵜呑みにして良いのかという疑問、その一方でその発表を鵜呑みにせざるを得ないで避難生活を強いられている人たちがたくさんいるという現実がある。この矛盾に向かってカメラを向けられないかという思いがあったところに、3月31日、埼玉県加須市の高校に福島県双葉町の方々1400名が避難されるという情報を入手した。これは後になってわかったことだが、避難命令を出した双葉町の井戸川町長は、放射能汚染についての詳細な情報がわからない時点で、町民全員をとにかく福島から離れたところに避難させることを決定した。

この避難所となった高校が僕の自宅から電車で通える範囲にあったので、とにかく毎日通い詰めた。人々の生活が落ち着くまでの混乱と、メディアへの規制があったため、最初はカメラを回せなかった。しかし、外の喫煙所でタバコを吸っている人たちを撮ることはできた。実際、多くのマスメディアが取材に来ていて、何とか人々から情報を得ようとしていた。そうしているうちに、何人かの人たちが部屋に入れてくれるようになった。マスコミの取材との違いに気づき、僕を認めてくれるようになった。中でも1階の美術室で生活している人たちと言葉を交わすようになり、カメラを回しても良い関係ができていった。人々が心を開いて、語ってくれたことがこの映画にとって大きな力となった。

原発の事故発生以来、知る権利を行使しなかった大手マスコミのあり方には疑問を感じる。もちろん、良い仕事をしているフリージャーナリストたちがいることを忘れてはならないが、5年あるいは6年後には、大手マスコミが自ら権利を放棄したことに対する検証がなされるのではないだろうか。

日本では反原発の運動がうねりのように起きているが、その運動を担っている人たちと関わる中で、福島の酪農家で牛の命を守り続けている人たちがいることを知った。しかし、多くの酪農家が避難した結果、飢死させられた牛の姿も数多く見たが、映画で写し出されたのはごく一部でしかない。こういう事態が生じたことへの怒りを感じている。

この映画は非常に少ない予算で作った。最初は自分一人で始めた。取材を進めて行く中で、作業が長丁場になることがわかった。その時点で、この映画がどういう形でアウトプットされるのかも全く見えない状況にもかかわらず、Documentary Japanという制作会社が支援を約束し、様々な資金を提供してくれたが、かぎりなく自主制作に近い作品だ。音楽は坂本龍一さんがこの映画のためにいわば寄贈してくれた。坂本さんとはニューヨーク時代から少し交流があったが、今回の原発事故をきっかけに、やり取りをしているときに、この映画の話をしたところ、曲を作って寄贈したいという申し入れがあった。ベルリン映画祭期間中、坂本さんが上映会場に来られる予定もある。

日本での上映については、今のところ何も決まっていない。ベルリン映画祭のタレント・キャンパスに参加したこともあり、映画祭からは様々なところに映画の紹介をしてもらっている。上映が実現するようにこれから働きかけるつもりだ。放射能に終わりはない。避難所生活をしている双葉町の人々の数は減っているが、これからも彼らの生活を追っていくつもりだ。」

30分弱の短い時間だったが、舩橋監督の静かな語り口から、生活を奪い去り、人々に苦しみを強いる原発への憤りが伝わってくるインタビューとなった。今回の映画祭では「アラブの春」を取り上げたドキュメンタリーが数多く上映されたが、その中の一つ「遅れてきた革命家(Reluctant Revolutionary)」で、民主化を求める市民たちに向けて政府軍が銃弾を放ち、多数の死傷者が治療を受けている場面で、治療に当たっている医師がカメラを回す監督に向かって「あなたのカメラが私たちのここでの状況の証人なのだ。カメラを切らずに撮り続けて、証人として我々の姿を世界に向けて見せてほしい」と語っていた。ドキュメンタリーの持つ力を再認識させる言葉だった。

「Nuclear Nation」が双葉町の人々の苦しみを伝える証言として、日本の、そして世界中の人々に紹介されることを願っている。