再開なったベルリンの「州立オペラ」

ツェルディック 野尻紘子 / 2018年1月1日

日本の著名なビオラ独奏者であり愛弟子も大勢いる今井信子によると、ベルリンは今「世界中の音楽家が最も好んで演奏したい町、音楽学生が最も好んで学びたい町」だそうだ。そのベルリンでこの12月、7年間の修復期間を終えた「州立(国立)オペラ」が再開した。一年の終わりに、ベルリンの文化的話題をお届けする。

ベルリンの「州立オペラ」。©Marcus Ebene

ベルリンにはオペラ座が三つあるが、この「州立オペラ」が最も古い。1742年に音楽好きのプロイセン王国のフリードリヒ大王が設立したオペラ座で、当時としては初めて、宮殿内の一部としてではなく、ヨーロッパで最大規模の独立した劇場建築として宮殿近くの大通り、ウンター・デン・リンデンに建設された。設立当時は文字通り、プロイセン王国の「国立オペラ」だったが、現在は「州立オペラ」になっている。

その後、火事や戦争の被害に遇い、建物は何度も破壊・再建されたが、最終的には1955年に、設立当時の建物に近いネオバロック形式のオペラ座として 再建された。今回は老朽化の進んだその建物が根本的に修復されたのだが、建物の維持状態が予想以上に悪かったり、地盤にも問題があったりして、修復には予定されていた3年ではなく7年もかかった。また費用も予定されていた2億3900万ユーロから約4億ユーロ(約532億円)に膨れ上がった。この費用の中には、音響改良のために天井が5メートル高くされたことや、最新の舞台技術が導入されたことなども含まれる。

実は、修復後の初公演は ドイツ再統一記念日の10月3日に行われ、メルケル首相をはじめ政界や芸能界の代表も参加した。ダニエル・バレンボイム音楽総監督がオペラ座所属の「州立楽団」を指揮し、出し物はシューマンの「ゲーテのファウストのシーン」だった。その直後には以前から招待されていたウイーン・フィルハルモニー交響楽団もやって来て、同オペラの名誉指揮者であるズービン・メータがブラームス、ハイドン、バルトークの作品を演奏した。しかしその後、オペラ座は約2ヶ月間閉鎖されてしまった。工事が最後まで終わっていなかったのだ。

そして11月30日には、やはり招待されていたベルリン・フィルハーモニー交響楽団がサイモン・ラトル常任指揮者と、今度こそ完成した建物でストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」とラフマニノフの「第3交響曲」を演奏した。ベルリンフィルは丁度、中国、韓国、日本の演奏旅行から帰ったばかりで、あたかも実家に帰る前に「州立オペラ」に立ち寄った感じで、旅行の勢いがまだ抜け切らないような演奏ぶりを発揮した。

本格的な再開は「州立オペラ」設立275年の誕生記念日の12月7日だった。この日にはバレンボイムの指揮のもと、メンデルスゾーン、シュトラウス、ブーレーズの作品が演奏された。この3人は音楽総監督、常任指揮者、そして名誉指揮者として、その昔から現代に到るまで、この「州立オペラ」にゆかりの深かった音楽家だ。この演奏会に引き続き、8日にはフンパーディンクのオペラ「ヘンゼルとグレーテル」、9日にはモンテヴェルディのオペラ「ポッペーアの戴冠 」の初演が行われた。オペラ座のレパートリーにはモーツアルトの「魔笛」や「ドン・ジョバンニ」、プッチーニの「ラ・ボエーム」などが沢山あり、これからはそれらが定期的に演奏される。

なお、ベルリンには「州立オペラ」の他に、1912年に設立された「ドイツ・オペラ」と1947年に生まれた「コーミッシェ(おもしろ)・オペラ」がある。前者は、宮廷のオペラだった「州立オペラ」に対して市民が設立したオペラで「町のオペラ」ともいわれ、設立当時から規模が大きく、座席数は当初2300もあった。戦争で破壊された建物は、1961年にモダン建築として再建され、舞台も観客席も大きく、迫力のある演奏が可能だとされる。「コーミッシェ・オペラ」は1947年から1975年までプロデューサーと監督を務めたオーストリア人、ワルター・フェルゼンシュタインによって、モダンな音楽劇場として形成され、オペレッタなども演奏される。また、このオペラの特徴は、上演される演目が全てドイツ語であることだ。建物は、以前に劇場として使われていたが戦争で一部が破壊され、舞台や観客席は昔風だが、入り口付近は近代建設で、そのコントラストが大きい。座席数は1190で、三つのオペラの内、最も小さい。

ベルリンでは今年、「州立オペラ」の近くにあった同オペラの舞台装置用の倉庫を、カナダ生まれの建築家、フランク・ゲーリーが改築して作り出した室内音楽のための「ピエール・ブーレーズ・ホール」も設立された。楕円形の小ホールで、演奏者と聴衆が身近に音楽を楽しめる点が、好評を博している。

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