映画「標的の村」のベルリンでの上映会

みーこ / 2017年7月16日

6月28日にベルリンで、沖縄の東村・高江でオスプレイ用のヘリパッド建設に反対する住民たちを描いたドキュメンタリー映画「標的の村」の上映会があった。この上映会の様子と映画の感想を記したい。

上映会がおこなわれたのは、ACUD Kinoという小さな映画館。カフェやバーも併設されていて、いかにもオルタナティブなアートスペースという雰囲気だった。映画会の主催は、ベルリン在住の日本人が中心になって作った反原発団体「Sayonara Nukes Berlin」である。80席ほどの会場は、開場時間から数分後にはもういっぱいで、左右の階段にもあふれた人が鈴なりに座っていた。全部を合わせると、観客は100人以上いただっただろうか。ざっと見たところ、ドイツ人7割、日本人3割くらいだったように思う。ドイツ語による沖縄の歴史についての解説が20分ほどあったあと、映画(日本語。英語字幕つき)が始まった。

私は沖縄出身でもなく沖縄本島に行ったこともないのだが、数年前にベルリンに引っ越してからのほうが逆に、沖縄の戦争の歴史や基地問題について考える機会が増えたように思う。理由はいくつかあるが、一番大きいのは、紙の新聞ではなくインターネット上で日本のニュースに接するようになったことだ。日本にいたときは、全国紙に時折載る沖縄の基地問題についての記事をざっと読んでいただけだが、インターネット上でニュースを見るようになってからは、それらの問題について、「琉球新報」「沖縄タイムス」、それに当事者や支援者のブログをクリック一つで読めるようになった。それらの「沖縄の声」に直接触れるようになって、本土で語られていることとの温度差を感じ、もっと知りたくなって、さらに自分で調べたことが何度かある。

もう一つ、沖縄のことが気になり始めたきっかけは、福島の原発事故だ。「危険な原発を地方に押しつけ地域の世論を分断し中央が利益だけを得るという構図は、沖縄の基地問題と似ている」という意見を読んで、「確かにその通りだな」と思い、以来、原発のことを考えるとき、沖縄のことも頭をよぎるようになった。

さて、このように沖縄の基地問題については多少は関心があった私だが、この映画は知らないことの連続だった。琉球朝日放送出身の三上智恵監督のこの映画は、2007〜2012年くらいの沖縄が舞台だ。沖縄の東村(ひがしそん)・高江で農業と自然派カフェを営む一家の暮らしが映し出される。一家の家のすぐそばに米軍の新型輸送機「オスプレイ」着陸用のヘリパッドが建設されることになったが、オスプレイは墜落事故が多い危険な輸送機だ。住民らは当然ヘリパッド建設に反対するが、米軍や日本政府からは住民への十分な説明はない。いつ工事を始める予定なのかさえ分からない。仕方なく住民らは基地を監視し座り込みをするが、日本政府は通行妨害を理由に、住民らを裁判に訴える。

訴えられた住民の中に、当時7歳の少女が含まれていたということを知り、私は衝撃を受けた。その少女はヘリパッド反対運動をしている夫婦の子だが、両親は少女を反対運動の現場に連れて行ったことはない。なのになぜ訴えられたのか。そもそも7歳の子を国が訴えるなんて、児童福祉上、大問題である。人権意識のカケラもないとはこのことだ。

もう一つ「え、こんなことがあったの!?」と驚いたのは、「ベトナム村」の歴史だ。1960年代、米軍は沖縄の演習場内にベトナム戦争を想定した「ベトナム村」を作り、ベトナムの農村に潜むゲリラ兵を攻撃するための訓練をおこなっていた。その「村」でベトナムの兵士の役をするために駆り出されていたのが高江の住民だと言うのだ。当時の記録映像が紹介されていたが、まさにゲーム感覚の「戦争ごっこ」だった。

沖縄では、第二次世界大戦末期に悲惨な地上戦がおこなわれ、県民の実に4分の1が亡くなっている。そのような場所で、地上戦体験者がまだ数多く存命中の60年代に、現地住民を敵に見立てて戦争の訓練をおこなっていたとは神経を疑う。米軍が沖縄県民もひいては日本国民全体もバカにしているのは自明のことではあるが、表面だけでも取り繕う気さえないのかと腹が立った。

そして、もっと腹が立ったのは、自分がこのような事実を知らなかったことだ。「沖縄と本土では報道に差がある」というのはよく言われることであるが、本当に、見ている世界が違うのだと実感させられた。

この映画のクライマックスは、2012年9月29日の台風の夜の抗議行動だ。暴風の中、人々は基地ゲート前に車を何台も駐車し、ゲートを封鎖する。車をレッカー移動させ強制排除しようとする警察、抵抗する住民、闘いを記録しようとする地元報道陣、報道陣の目をくらますための緑の光線を無言で当ててくるゲートの向こうの米軍兵士。

目を合わせぬまま住民を押しのけようとする警察官に、住民のうちの一人が言う。「なあ、ここにいるのはみんな沖縄の人間じゃないか。我々も、あんたたちも、報道の人間も。いつまでこんなことを続けるんだ? 沖縄の者どうしでケンカしてさあ。あんたたち、どうして今日上司に言えなかったんだ? こんな仕事はしたくないから今日は家に帰りますって。今日は休みを取りますって。もうこんなことやめようや」。

この映画の宣伝文句は「スクリーンに叩きつける、伝えきれない沖縄。」なのだが、まさに、沖縄の怒りや悲しみが整理しきれないままスクリーンに叩きつけられた激しく切ないシーンだと感じた。

ところで私は、ドイツで様々な社会問題に触れるようになって、「市民同士の連帯」をどう捉えるかということについて、日独で差があるのではないかと感じるようになった。「市民同士の連帯」とは例えば、福島の原発事故被害者に対して、チェルノブイリの被災者やドイツの反原発団体らが支援や交流をし「連帯を示す」というようなことだ。ドイツでは、このような市民同士の連帯がポジティブに捉えられているのに対し、日本では「よそ者が外からいろいろ言っているだけ」というようなネガティブな捉え方をされることが多いように思う。

高江の問題についても、少しインターネットで検索すると、「ヘリパッドに反対しているのは、日当目当てに県外からやってきた活動家だけ」だとか「反対派は中国共産党の息がかかった反日勢力。地元の人は通行を妨害されて迷惑している」だとか、ひどいデマを振りまくウェブサイトがたくさんヒットする。このようなデマが飛び交っていると、高江の住民を支援したいといったん思ったもののやはり躊躇してやめてしまったという人も出てくるだろう。本土の日本人が沖縄の基地問題から目を背けてしまう理由の一つとして、日本では市民の連帯をあざ笑うようなネガティブな空気があることが挙げられるだろう。

しかしそんなことでは、力を持たない個人は大きな権力に分断され翻弄されるばかりだ。世界中の社会問題の詳細を全て知るというのは無理なことではあるが、さまざまな場所で戦う市民運動を知り、それらに心を寄せていきたいと思った。その意味で、沖縄から遠く離れたベルリンの地で、多くのドイツ人観客と共にこの映画を見られたことは、私にとって嬉しいことだった。

〈関連リンク〉
映画「標的の村」公式ウェブサイト
映画「標的の村」上映会スケジュール(ページ下にあり)

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