ドイツ人を楽しませた多和田葉子さんのクライスト賞授賞式

永井 潤子 / 2016年12月25日
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記者会見での多和田葉子さん

ベルリン在住の作家、多和田葉子さんが、2016年度のドイツの権威ある文学賞、クライスト賞を受賞したことは、日本のマスメディアもすでに伝えたと思う。授賞式は11月20日の日曜日、午前11時から劇作家、ベルトルト・ブレヒトゆかりの劇場、「ベルリーナー・アンサンブル」で行われた。形式的で退屈な授賞式とは全く異なり、内容の濃い、文化的な催しが計画されていて、会場を埋めたドイツ人たちは大喜びだった。日本語とドイツ語で旺盛な作家活動を続ける多和田葉子さんのクライスト賞受賞の模様を、今年最後の記事としてお届けする。

「これまでもドイツの賞をいくつかいただいていますが、それらはどちらかというと、ドイツ語と日本語の両方で作家活動を行なっていることや2ヶ国語間の交流などを評価されたものです。今度のクライスト賞は、純粋に文学の賞で、私がドイツ語でコツコツ書いてきた作品が文学的に評価されたことになるので、今回の受賞を私は特別に嬉しく思っております」。授賞式に先立ってベルリンの日本大使館で日本人記者たちを対象に行ったインタビューの冒頭で、多和田葉子さんはその喜びをこう語った。

劇作家、ハインリッヒ・フォン・クライスト(1777-1811)の名にちなんだこの文学賞が誕生したのは、クライストの没後101年の1912年で、この賞の特徴は複数の審査員によって受賞者が決められるのではなく、年度ごとに異なる一人の審査員が受賞者を決定するという点である。新しい非凡な才能を発掘するためには、平均的な才能に有利に働く多数決より、単独の審査員による大胆な決断の方がふさわしいという文学賞創設者たちの考えによるものだ。クライスト賞はワイマール共和国でのもっとも重要な文学賞だったが、1933年のナチの政権掌握によりクライスト財団が解散に追い込まれたため、1932年までで一旦終了した。

第二次世界大戦後設立されたハインリヒ・フォン・クライスト協会によってクライスト賞が再開されたのは、1985年になってからで、一人の代表が受賞者を決定するという方式は引き継がれた。しかし、当初の新人発掘の目標は必ずしも守られず、1990年に60歳で受賞した東独出身の劇作家、ハイナー・ミュラーのように、功なり名を遂げた作家に与えられることも珍しくなくなった。

クライスト賞の受賞者リストを見てみると、第1期では1915年のアーノルド・ツヴァイク、1922年のベルトルト・ブレヒトをはじめ、女性では1928年のアンナー・ゼーガース、1932年のエルゼ・ラスカー=シューラーなど、ドイツ語圏の錚々たる文学者がずらりと名を連ねている。再開後も前述のハイナー・ミュラーをはじめ、1994年には、2009年にノーベル文学賞を受賞したルーマニア出身のドイツ系女性作家、ヘルタ・ミュラーも受賞している。最近はドイツ語で作品を発表するドイツ在住の外国人作家が受賞するケース

も増え、例えば、2012年の受賞者はイラン系のナヴィッド・ケルマーニだった。2016年の受賞者、多和田葉子さんは、日本人初の受賞者である。2016年の受賞者を多和田葉子さんと決めたのは、多彩な活動を続けるドイツの女性写真家、映像作家、映画監督のウルリーケ・オッティンガーさんで、オッティンガーさんは多和田葉子さんと日本で『雪に埋もれて』という映画を撮るなど、長年にわたって親しい協力関係にある。多和田さんは、オッティンガーさんの映画撮影のために様々な情報を提供するだけでなく、この映画の中で自ら「越後のお瞽女」姿などで出演もしている。こうした協力関係がクライスト賞受賞に繋がったが、多和田さんのドイツ語の作品を30年以上にわたって出版し続けた出版社、コンクルスブーフ社の女性オーナー、 クラウディア・ゲールケさんの貢献も見逃すことはできない。

早稲田大学でロシア文学(ドイツ文学ではなく)を専攻した多和田葉子さんは22歳の時ドイツに来て、出版関係の仕事をしながら、ハンブルク大学でドイツ文学を学び、のちにスイスのチューリヒ大学で文学博士号を取得している。2005年以降ベルリンに暮らし、日本語とドイツ語で小説、戯曲、放送劇、エッセイ、詩など多数を発表してきた。また、ジャズピアニスト、高瀬アキさんと作品の朗読会を世界各地で開き、演劇活動も行なっている。多和田葉子さんは小説『犬婿入り』で1992年下半期の芥川賞を受賞、ドイツでは1996年にシャミッソー賞を受賞、以来様々な賞を受賞している。原則として彼女の日本語の作品はドイツ語に翻訳されず、ドイツ語の作品は日本語に翻訳されていない。

多和田さんは日本大使館でのインタビューでドイツ語の魅力、ドイツ語で書くことの楽しさなどを次のように語っていた。

ドイツ語はベートーベンの音楽に通じるような音楽的な響きを持った美しい言葉だと思います。一つ一つの言葉が、力強くて、そうした言葉を積み重ねるとしっかりした建物ができるような感じがします。また、日常使われるドイツ語の言葉がそのまま哲学用語として使われているのも、日本語とは違った魅力的な点ですね。ある時期からどうしてもドイツ語で、自分独自のドイツ語で書きたくなったのです。以来ドイツ語と日本語で書くようになったのですが、ドイツ語で書く場合は一人で自分のテンポで書けますので、楽しいですが、今日本では連載を二本も抱えていて、締め切りに追われるので、その分楽しさは減ります。でも書くこと自体は同じように楽しいですね。

ここ数年、クライスト賞の授賞式は、劇作家、ブレヒトゆかりのベルリンの劇場、「ベルリーナー・アンサンブル」で行われることになっており、今年の授賞式も同アンサンブルの芸術監督、クラウス・パイマン演出のマチネーとして行われた。会場は、クライスト賞関係者、文学、演劇関係者のほか、チケットを買って入った一般の聴衆などでいっぱい、ドイツ人がほとんどで、日本人は大使館関係者、多和田葉子さんの戯曲を演じる劇団「らせんかん」関係者、ジャーナリストなどわずかだった。

授賞式はアレキサンダー・フォン・シュリッペンバッハ氏(ジャズピアニスト高瀬アキさんの夫)のピアノ演奏で始まった。舞台前には大きな氷の塊のようなオブジェ6個が並び、『雪に埋もれて』の美しいスチール写真がかざられた舞台では、ドイツのスター俳優によってクライストの戯曲『ロカルノの乞食女』と多和田葉子さんの戯曲『家の精』が朗読されていく。その後ハインリヒ・フォン・クライスト協会のギュンター・ブランベルガー氏の受賞者紹介を兼ねた挨拶と続き、オッティンガーさんの祝辞は、映画『雪に埋もれて』のシーンを紹介しながらの心のこもったものだった。しかし何と言っても多和田葉子さんの受賞後のスピーチが、この日のクライマックスだった。

多和田さんのスピーチはコンマと日本語の「間(ま)」についての話から始まったが、スピーチの間中、ドイツ人の聴衆は、多和田さん独特の言葉遊びとユーモアによく笑っていた。多和田さんはドイツ語を習いたての頃語学学校で、「ドイツ語では好き勝手にコンマをつけてはいけない」という面白い規則を習ったそうだが、次に例としてあげたのは、多和田さんが尊敬する劇作家で、クライスト賞受賞の先輩でもあるハイナー・ミュラーの数語ごとにコンマが出てくる文章だった。短い文章の間にコンマが10回以上も出てくる例をあげて聴衆を笑わせた後、「コンマを好き勝手につけてはいけないという規則の違反者を探すとしたら、クライストもその追求を免れられない」というオチがつく。話はコンマ(Komma)からKoma(コーマ、意識不明とか昏睡という意味のドイツ語)へと移り、多和田葉子さん独特の言葉遊びの世界が展開される。ドイツ語のできる方はご自分で味わっていただきたい。

ドイツ人の聴衆の中には、もっともっとクライストや多和田葉子の世界に遊んでいたいと思った人が多かったようだが、私はドイツ語の微妙さが100% わからないことと彼女独特の言葉遊びに入っていけない自分を感じていた。よく考えてみれば、私は彼女のドイツ語の本を一冊も読んでいないし、他の日本人も私のような人が多かった。一方、会場を埋めたドイツ人のほとんどは、日本語の彼女の作品を一つも読んでいないと考えられる。そうした異なる背景を持つ聴衆が、もしかしたらこの女性作家に対して別々のイメージを持っているのかもしれない。いずれにしても、彼女のドイツ語の世界にこの日初めて触れた私は、多和田葉子という作家の多彩な才能に、ただただ圧倒されるばかりだった。彼女のスピーチを聞きながら、私はクライスト賞授賞理由を思い出していた。日本語に訳すと、要旨次のようになる。「多和田葉子は、外国語としての違和感や翻訳を契機に繊細な言葉遊びを展開し、独特のスタイルを確立した。彼女の詩や散文の言葉は、極めて美しく、エロチックな緊張感に満ちている」。

多和田さんはクライスト賞のドイツ語、Kleist-Preisの両方に氷を意味するEis という綴りが含まれていることについても触れ、氷や雪に覆われた寒い冬に書くのが一番好きだと告白する。雪や氷に溢れた北ヨーロッパの冬は、自分にとっては大きな宝物であると同時に文明を形作る上で大きな貢献をしているとも述べている。

授賞式の後、感想をたずねたベルリン在住の翻訳家、木本栄さんは、「翻訳の仕事をしているので、多和田さんの言葉遊びの面白さがよくわかりました。授賞式に出席して、多和田葉子さんこそクライスト賞を受賞するにふさわしい人だと痛感しました」と語っていた。木本さんもドイツ語の作品は1冊も読んでいないとかで、当日早速買った本のタイトルは『Überseezungen』という言葉遊びの最たるもの。 Übersetzung (翻訳)とSeezunge(舌平目)をかけた、彼女のいわば「創作ドイツ語」で、 日本語に訳すことはできない。さらに舌を意味するZungeは喋ること、言葉を意味するから複雑である。

授賞式が終わる頃、舞台前の「氷に似せた6個のオブジェ」と思ったものが溶け出し、聴衆はそれらが造形作品ではなく、本物の氷だったことを知る。氷や雪に特別の関心を寄せる多和田葉子さんの授賞式にふさわしいフィナーレだった。

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