東ベルリンのとあるパン屋で

あや / 2016年11月6日

私の住んでいる地域は、ベルリンの北東、ブランデンブルク州との境目に位置する。初めてこの地域を訪れた時は、見渡す限りのプラッテンバウ(東ドイツ時代に建設されたパネル方式の鉄筋コンクリートのプレハブ集合住宅)に思わず息を飲んだ。洒落たカフェやレストランなどはほとんどなく、駅の近くに建っている大きなショッピングセンターが、団地住民の憩いの場となっている。

私には、日記をつける習慣がある。だが、どういうわけか、私はその日記を家で書くことができない。家は、日常との距離が近すぎるせいかもしれない。そういうわけで、以前はよく家の近くのカフェに行って、その日起こったことなどをつらつらと書いていた。

ここへ越して来てからの一番の問題は、日記を書く場所が家の近くに全くないということだった。先のショッピングセンターには、フードコートのようなものがあるにはあるが、人の往来が激しく、ゆったりとものを書ける環境ではない。だから、いつもはできるだけ大学で用事を住ませた後などに、その近くのカフェで書くようにしているのだけれど、家で缶詰になって原稿を書いている時に、無性に日記をつけたくなることもある。そういう時は、仕方がないので、ショッピングセンターの中に入っているパン屋へ行く。

別段、美味しいパン屋ではない。よくあるチェーンのパン屋だ。だが、フードコートと違って飲食をする部分が奥へ引っ込んでいるので、少なくとも人の往来に悩まされることはない。

最初のうちは、良いところを見つけたと思って、足繁く通っていたが、ほどなくして、日記を書く上での難点がはっきりと浮かび上がってきた。この狭いパン屋では、どんなに気配を消そうとしても、すぐ誰かに話しかけられてしまうのだ。

パン屋の常連客の大半は、年金生活をするおじいさんやおばあさん。好奇心のかたまりの彼らは、見慣れない文字で何か書いているアジア人の私に「それは一体どこの文字なの」といって話しかけて来る。「日本の文字ですよ」と言って説明しているうちに会話が始まって行き、次第に話の主題はおじいさんやおばあさんの物語へと移行する。

おじいさんやおばあさんの話はことのほか興味深く、話を聞いているととても日記を書いている場合ではなくなってくる。質問をはさみながら話を聞いているうちにあっという間に時間が過ぎて、待ち合わせに遅れそうになったことが何度もある。

数日前もそうだった。この時話しかけてきたおばあさんは、1938年生まれ。生まれてから今までずっと東ベルリンに住んでいる、生粋の東ベルリーナーだ。およそ二時間半に渡って、おばあさんは色んな話をしてくれた。消防士をしていた父親の話、戦時中の話、戦後すぐのベルリンの様子など。でも、おばあさんが一番長く時間をとって話をしたのは、ドイツが西と東に分断され、東ドイツの中で生きていた頃のこと、そして壁が崩壊して、ドイツが統一された後、旧東ドイツ地域住民が味わった期待と失望についてだった。

おばあさんは、東ドイツ時代、人々には仕事が十分にあったこと、わずかなお金で月々の家賃を払うことができたこと、生活に必要最低限のものは安価に手に入っていたこと、隣近所の人々が親密なつながりをもっていたことなど、たくさんのエピソードを交えて、とても懐かしそうに語った。それでも、当時東ドイツに暮らしていた人たちは、豊かな西側の生活に憧れていたと言う。よく知られている話だが、東ドイツで車を買うのには、何年も待たなければいけなかった。

ドイツの統一に、東の人々は大きな期待を抱いていた。西側の人たちのような豊かな生活ができるのだと。しかし、統一直後に人々を待っていたのは、生産性の低い旧東ドイツの国営企業の西側企業への売却と大量解雇だった。おばあさんは、当時東の国営企業で働いていた人たちが工場で何日もハンガー・ストライキをしたというエピソードをとても厳しい顔で語った。何度も間をおいて、ぽつりぽつりと当時のことを、かみしめるように話す姿が印象的だった。

三島憲一が『現代ドイツ −統一後の知的軌跡-』(岩波書店、2006年)という本の中で、統一直後の東ドイツのことを、ブレヒトの「過度な期待のあとには過度な希望のなさが訪れる」という言葉を使って表現しているが、おばあさんの話を聞きながら、この引用の正しさを思った。

私は、少しためらったが、おばあさんに「東ドイツ時代に戻りたいと感じますか」と、聞いてみた。おばあさんは、少し考えてから、「戻りたくないわ」とはっきり答えた。「あの頃は、色々な制限があって、自由に物を言うことも難しかった。ソ連の強い影響下にあることも、気持ちの良いものではなかった」。

統一から25年以上が経っても、おばあさんの頭の中には、まだはっきりと東と西を分ける壁がある。でも、実際に、その時代に回帰したいとは思わない。

おばあさんは、一通り話した後、「話を聞いてくれてありがとう。良い一日を」と言ってパン屋を後にした。私は、そのまま、一人パン屋のソファーに座って、おばあさんによって「生きられた歴史」と、彼女の抱える心の葛藤について、しばらくぼんやりと考えていた。

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