菅直人元首相、ベルリンで講演

まる / 2015年10月18日
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ベルリンで講演する菅元首相 © JDZB

2015年10月13日、ベルリンのハインリヒ・ベル財団で、菅直人元首相の講演が行われた。福島原発事故の時の日本の総理大臣ということで関心は高く、ウェイティングリストがあったほどで、230人が集まった。

菅氏は「危機管理ー2011年3月の東日本大震災の教訓」という側面から話をした。ハード面でもソフト面でも、原発の危機管理態勢が欠如していたという話は、今となってはもう新しいことではないが、当時実際に対応に当たった人の口から聞くと、やっぱり説得力がある。例えば、事故対策を担う保安院長に説明を求めたところ、返ってきた答えが意味不明なため、菅氏が「専門は何か」と問うと、「私は東京大学の経済学部出身です」と答えたという。非常事態の際、原発敷地外から対応を行うため、5km離れた所に設置していたオフセンターは、道路が渋滞したために職員が集まれず、電源も喪失していたため全く使い物にならなかった。冗談のような話だが、あれだけの惨事になったことを考えると、目の前がくらくらしてくる。当時の混乱の中、総理大臣として一刻も早く正しい対応をすべく奔走する菅氏が、次々と裏切られていく様子が想像できる。

菅氏は、現在も10万人の人たちが避難しているが、一歩間違えれば、首都圏を含む広域から5千万人が避難しなければならない事態になっていたかもしれないこと、そうだとしたら日本という国は事実上壊滅状態にあったであろうという話もした。そうならなかったのは、例えば格納容器に穴が開いて圧力が下がるなど、いくつかの幸運な偶然があったおかげだった。しかし、「もう一度、そのような神のご加護があるかはわからない」と警鐘を鳴らし、脱原発の必要性を説いた。

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会場での質疑応答 © JDZB

質疑応答では、「チェルノブイリがあったにも関わらず、原発を信じたのはなぜか?」とか、「どうして日本には強いみどりの党がないのでしょう?」「メディアが間違った情報を伝えていた、または今も伝えているようだが、どうしたらいいか?」という質問が出た。質問と答えが一部かみあっていない印象もあったが、日本はソ連とは違うという過信があったこと、小選挙区制の問題、間違った情報が出た理由などを、根気よく説明していた。その中で、「3.11の後、一番大きく変わったのは裁判所の姿勢です……原発はそのうち経済的に成り立たなくなる……裁判所の判断か、経済的メカニズムで原発はなくなるだろうと思っています」と言っていたのが興味深かった。

菅氏の話の前には、ドイツみどりの党連邦議会議員で同党原子力・環境政策スポークスパーソンのシルヴィア・コッティング=ウール氏が挨拶をした。同氏は福島原発事故以来、もう7度も日本を訪問し、被災地を回ったり、講演を行ったり、市民団体と対話をしたりしてきている。「菅直人の失脚は、現政権による原発再稼働の動きと密接に関わりがあります」と、福島原発事故の際の管首相の奔走が、さらなる大惨事から日本を救ったかもしれないのに、感謝されるどころか、7ヶ月後には総理大臣の座から引きずり降ろされた菅氏の功績を讃えた。また、エネルギー転換は本当はドイツよりも日本の方が向いているという話をした。そして「ドイツのエネルギー転換がいかに上手くいっていないかというような書籍が日本で出回っているのは遺憾です。私たちはそのような印象を与えてはいけません。ドイツで成功例を作れば、日本のエネルギー転換と脱原発の役に立つかもしれません」と付け加えた。

菅氏の著書「東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと」はドイツ語に訳されて、ドイツでも発売されている。16日にはフランクフルトのブックフェアーでも菅氏のインタビューが行われた。

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