パリの風刺週刊新聞襲撃事件に対するドイツの反応−3

永井 潤子 / 2015年1月18日

パリの襲撃事件から1週間経った1月13日の夕方、ドイツ統一のシンボルとなっているブランデンブルク門前のパリ広場で、静かだが感動的なシーンが展開された。ドイツ・ムスリム中央評議会とベルリン・トルコ人協会が主催した、イスラム過激派のテロと外国人排斥に抗議する警告集会に、ドイツの大統領をはじめ、首相や政府閣僚、各政党代表、ユダヤ教徒代表などを含む約1万人(警察発表)が参加し、それぞれ言論の自由を守る決意を表明するとともにドイツ社会でのイスラム教徒との平和的共生を強調したのだ。ドイツのイスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒たちがこのような形で肩を並べてテロに抗議し、寛容な社会を守る意思を表明したのは、初めてのことだった。

18時前、雨模様のお天気の中、フランス大使館のあるパリ広場に大勢の人が続々と集まってきた。フランス大使館前には事件直後とは異なり、フランス、ドイツ両国の国旗だけではなく、EU やイスラエル国旗と並んで、イランやパレスチナ、トルコの国旗が連帯の印として掲げられていた。警告集会のスローガンは「団結し、旗幟を鮮明にしよう!」。集会はイスラム教の聖典、コーランの一節の朗読で始まった。「一人の人間を殺した者は、人類全てを殺害した罪に匹敵する。一人の人間を救った者は、全人類を救った功徳に匹敵する」というコーランの一節がドイツ語とアラビア語で朗読されたのだ。

犠牲者の冥福を祈る黙とうの後、仮設舞台で挨拶したドイツ・ムスリム中央評議会のマジェク会長は、「パリの襲撃事件の犯人たちは、その恐るべき行為によってイスラム教を裏切った。テロリストたちは、我々の預言者の仇を討とうとしたのか? ノー、彼らは神を冒涜する最大の犯行を犯したのだ」と批判し、イスラム過激派とは一線を画すことを明言した。その一方で同会長は、今回の事件がきっかけでドイツに住む一般のイスラム教徒や移民の背景を持つドイツ人排斥の動きが高まることに警告し、「我々全員がドイツだ」と述べた。このマジェク会長の言葉は、その後に挨拶したガウク大統領が引用したため、この警告集会のキーワードになった。ガウク大統領は、ドイツに住むすべての人に、宗教や出身国の違いに関係なく、民主主義と開かれた社会を維持するために尽力するよう呼びかけ、「我々全員がドイツだ」と繰り返したのだ。「テロリストたちは我々の社会を分裂させようとしたが、達せられたのはその目標の正反対だった」と指摘し、「過激派のテロ行為に対する我々の答えは、不安ではない。彼らの憎しみは、我々を正しい道へと励ます」などとも述べた。

舞台上にはドイツのヴルフ前大統領の姿も見られたが、同大統領はドイツ統一20周年の記念式典での演説で、「イスラム教もドイツの一部である」と述べて賛否両論を巻き起こしたが、今ではメルケル首相も「イスラム教もドイツの一部である」と繰り返すようになっている。ミュラー・ベルリン市長も、「イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒が政治家たちと合同で行った今回のアクションは、人間同士の人間的な共同行動である」と高く評価し、「今我々に必要なことは市民の自由を制限することではなく、より開かれた社会にすることである。なぜならそれが我々の民主主義を強化するからである」などとスピーチした。

警告集会の締めくくりには、舞台上の宗教界代表や政治家たちが腕を組んで、テロに抗議し、言論や宗教の自由を守る意思を表明したが、ドイツ・ムスリム中央評議会のマジェク会長がガウク大統領やメルケル首相と腕を組む姿は、「我々全員がドイツだ」という言葉を象徴する強力なシンボルとなっていた。

翌日、ベルリンで発行されている各新聞は、大衆新聞を含め、こぞってこの警告集会について写真入りで大きく報道し、「ドイツ社会が寛容な社会であろうとすることを印象付ける集会だった」などとコメントする新聞もあった。ベルリンの日刊新聞、「ターゲスシュピーゲル(Der Tagesspiegel)」には、「鋭い声高な主張も、即効薬的な解決策も示されない静かな瞬間、しかし、ベルリンの政治で何かが少し変わったことが感じられた」という見出しの記事も載った。一方、ベルリンの日刊新聞の中で最大の発行部数を誇る「ベルリナー・ツァイトウング(Berliner Zeitung)」は、この警告集会に一般のイスラム教徒の参加があまり多くはなかったことを指摘し、警告集会の参加者が掲げたプラカードを紹介していた。そのプラカードには、次のように書かれていた。「私の両親は外国人労働者、私はトルコ系ドイツ人、私の子供たちはイスラム教徒、いつになったら、あなたたちは私たちをドイツ人と呼ぶの?」。3つ目の日刊新聞「ベルリーナー・モルゲンポスト( Berliner Morgenpost)」は、パリの襲撃事件の犠牲者の中には敬虔なイスラム教徒の警官も含まれていたことに触れ、「テロに抗議する大勢のデモの合言葉は『Je suis Charlie. Je suis Ahmed.(私はシャルリー、私はアーメド)』でなければならない」などと書いた。アーメドは犠牲となったイスラム教徒の警官の名前である。

「腕を組むだけでは十分でない」という見出しの記事を載せたのは、ミュンヘンで発行されている全国新聞、「南ドイツ新聞(Süddeutsche Zeitung)」だ。同新聞のコンスタンツェ・フォン・ブリオン記者は、「危険なテロにつながる憎しみの萌芽は何も戦争や宗教の争いの絶えない中近東だけにあるだけではなく、ベルリンにもドルトムントにも、東部ドイツにも存在する。憎しみの根は、社会的弱者の貧困や不満だけではなく、侮辱感や社会から置き去りにされている、無視されているという感情からも生まれる。イスラム教徒がほとんどいない東部ドイツで、イスラム化に反対するデモに多くの年配者が参加しているのは、統一後のドイツで単なる『旧東ドイツ人』に過ぎないとみなされていることへの怒り、いわば自分の国での難民的な立場への怒りが影響しているのかもしれない」と書いている。同記者は長年にわたって移民社会という大きな問題に正面から向き合ってこなかった連邦政府を批判するとともに、多様な社会に生きることをドイツ人は今こそ学ばなければならないと、次のように書いている。

 ドイツは1945年以降、民主主義とはどういうものかを学んだ。1989年以降は、独裁体制をいかに克服するべきかを学んだ。今やドイツは、同じような力を動員して、肌の黒い人も、祈りのための絨毯を荷物の中に持つ人も、やはりドイツ人であることを国民に教え込まなければならない。お互いに憎み合い、殴り合わないために、多様な異文化社会容認の価値観を学校の教科に取り入れ、自由と民主主義の価値観と同じように、人々の頭に根付くようにしなければならない。また、政府は社会的弱者層の子供たちを学校に行かせ、教育の力でこうした基本的な価値観を身につけさせるべきである。それには多額の費用がかかるだろうが、それ以上に知恵を絞る必要がある。困難ではあるが、これこそ平和的な社会を実現する重要な鍵である。

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