感情のジェットコースター - その2:「ジャパン・シンドローム」

あきこ / 2013年11月24日
「ジャパン・シンドローム~ベルリン編」チラシ

「ジャパン・シンドローム~ベルリン編」チラシ

前回は帰国中に感じた怒りについて書いたが、久しぶりの帰国で楽しいこともたくさんあった。旧知の人たち、かつての同僚たちに加えて、ベルリンの友人たちと京都で会えたことは大きな喜びだった。長い時間をかけて話し合った知人や友人たちは、口をそろえて原発の危機的状況について、彼らの考えを話してくれた。これだけ現状に危機感を持っている人たちがいることを心強く感じた。さらにもう一つ、ハッピーな気持ちにさせてくれることがあった。

KYOTO EXPERIMENT 2013(京都国際舞台芸術祭)で、「ジャパン・シンドローム~ベルリン編」と題名を聞いただけで恐ろしくなる作品を見た。1973年のアメリカ映画「チャイナ・シンドローム」はスリーマイルの原発事故直前に公開されたが、高嶺格さんの作品「ジャパン・シンドローム」は2011年の東日本大震災によって引き起こされた原発事故後の日本を見据えたものである。作品は2部で構成されていた。一つは、京都芸術センターを会場にした映像バージョンの「ジャパン・シンドローム」、もう一つは映像+パフォーマンスで、京都市役所前でパブリックビューイングとして行われた。映像バージョンは、原発事故が与えた影響を街中の商店街などで取材、そのやりとりを演技としてスタジオ内で再現し、映像で記録するというもので、京都編に続き、山口編、水戸編が制作されたという。

高嶺さんは2013年6月からドイツ学術交流会(DAAD)の招聘でベルリンに滞在しているため、「ジャパン・シンドローム~ベルリン編」の制作を計画した。当初はベルリンでも、京都・山口・水戸と同じように、街角で人々に福島、脱原発についてインタビューしたものを映像として再現し、それをKYOTO EXPERIMENT 13で発表する予定にしていた。しかし、「原発を巡る人々の分断が思いのほか速いスピードで進行している。ベルリンからの映像を作っても『見る人は見るが、見ない人は見ない』で終わってしまわないだろうか」と高嶺さんは考えている。この分断とは、原発を話題にした途端に人々の間に心の壁ができてしまう状態だ。そして高嶺さんは分断で壊れてしまった人間関係を壊れたままにしないで、修復することに挑戦することを思い立った。それが京都市役所前広場で10月5日にパブリックビューイングという形で行われた作品だった。

ベルリンから帰国したばかりで、このような背景やアーティストの意図も知らないまま、「ジャパン・シンドローム~ベルリン編」というタイトルに引かれて、暗くなりかけた京都市役所前に行った。19時過ぎ、京都市役所正面の壁に映像が映しだされると、音楽とともに一人の女性が躍り始めた。クラブミュージックのような雰囲気で大音響の音楽が鳴り続けると、やがて何人かが体をゆすり始め、その人々の姿が映像として映されていく。しばらくして、スクリーンとなった市役所正面の壁の最上部にテロップが流れてきた。暗くてメモを書き留めることができなかったが、次から次へと出される質問に対する回答を読むことができる。事前に用意されたテロップなのか、それともネットを通じてライブでチャットのように流されているのかもわからなかったが、高嶺さんに伺って、USTREAM(ユーストリーム)で世界中に配信、回答はツイッターを通じてリアルタイムで寄せられたものだということがわかった。

時間の流れとともに、市役所前広場には暗闇の中、集まってくる人の数が増え、踊りの輪は広まっていく。市役所は京都のメーンストリートである南北を走る河原町と東西を走る御池通の交差点角にあり、車の交通量も多い。土曜日だったので、京都観光に訪れた近隣のホテルの宿泊客たちも見に来ていたかもしれない。

やがて流れる質問が少し原発事故を仄めかすものが出始めるが、踊っている人々は流れる文字など気にも留めない。ダンスに“憑かれた”人たちの頭上を、「日本は法律でダンスが規制されていることを知っていますか」といった主旨の質問。それに続いて、「リズムの特徴をとらえ,変化とまとまりを付けて,リズムに乗って体幹部を中心に全身で自由に弾んで踊ることができるようにする」という文部科学省の中学校学習指導要領解説に書かれている文章も流れる。日本では中学校でダンスが必修化されたのだ。片や規制、片や必修化とバラバラな政府の方針がこれらのテキストで指摘されている。「日本に来たいですか」という質問もあった。高嶺さんの質問の中には、「原発」という言葉は一切出てこなかった。日本ではこの言葉を使うだけで、分断が始まるというのが高嶺さんの考えだ。音楽とダンスで人々を酔わせて、分断から修復を試行するアーティストの姿勢が伝わって来た。

午後8時前、音楽のボリュームが低くなり、人々の踊るシーンを映し出していた映像が切れた。やがて、文字が下から上に現れ始めた。以下、高嶺さんの許可をいただいて、当日に流された日本語と英語のテキストを載せておく。

ドイツ連邦共和国よ、

Dear Bundesrepublik Deutschland,

ありがとう。

Thank you.

あなたたちは日本より数段マシだ

You are far better than us.

あなたたちの決定は人類の希望だ

Your decision is the human’s hope.

しかし、あなたたちの決定は世界で知られているにも関わらず

Because of your decision, you are known to all over the world,

多くの者は知らぬフリをしている

Many of them try not to see the true you,

どころかあなたの国のアラ探しをしている

What is even worse, they try to find a flaw in your decision.

でも、安心してほしい

But don’t worry.

今後世界がどうなろうとも

Whatever the world would be,

あなたの一度示した行動は長く世界の模範となる

The action once you exhibited will be a long time guideline for the future.

世界のどこかに懍とした模範のある限り、

人々は生き続けることができる

As long as we developed a detached attitude somewhere on the earth,

We can continue to live our life.

だから、もう一度ありがとう

So, I want to thank you again,

ありがとうドイツ,

Thank you, Germany.

ありがとう京都市役所。

Thank you, Kyoto City Hall.

このテキストを読んで、叫びだしたいほど嬉しくなった。そして、もっと嬉しかったのは、あれだけ熱狂して踊っていた人たちの輪から大きな拍手が起きたことだった。このテキストを見れば、恐らく多くのドイツ人は「面映ゆい」気持ちを持つかもしれない。しかし、国として脱原発を宣言したドイツは、これを誇りにしてもよいのではないかと思う。

ベルリンに滞在している高嶺さんに会って、京都市役所でのパブリックビューイングについて質問した。原発を巡る日本の状況の変化が速くなり、「分断」していることを強く感じたのは東京の葛西臨海水族館を訪れた時だったと言う。高嶺さんは海洋汚染の状況を知りたくて、「お問い合わせには何でもお答えします」という水族館の姿勢を知り、水族館に行って海洋汚染の状況を質問した途端、それまで普通に対応していた職員の態度が急に硬くなり何も答えは返ってこなかった。「まるで目の前でシャッターが下ろされたような感じがした」と高嶺さんはその時のことを語る。これが、「ジャパン・シンドローム~ベルリン編」で「修復」をテーマにしようと思った一つのきっかけだという。“シャッターを下ろしてしまった”相手との関係の修復は困難であるが、芸術を通じてその可能性を探ろうとしている作品だ。

高嶺さんとの話を終えたあと、もう一度「ジャパン・シンドローム~ベルリン編」のチラシをじっくりと見た。背景に写っているのは明らかに日本人ではない観客たちだ。そして前面に浮き上がっているのは日本の子どもたちだろう。汚染されているのかいないのか、情報を知らされないまま海で無邪気に遊ぶ子どもたちを世界の観客が見つめているというのは、私の深読みだろうか。

それにしても、市役所をこのような催しに提供した京都市、そこに住んでいたことを少し誇りに思った。これは大阪市、ましてや東京都庁では決してできないだろう。

ところで、この催しはドイツ学術交流会の創立50周年を記念して、12月7日にベルリン芸術アカデミー(Akademie der Künste am Hanseatenweg)で行われることが決まった。ドイツの人たちの反応に大いに興味がわく。

3 Responses to 感情のジェットコースター - その2:「ジャパン・シンドローム」

  1. Okada yofa says:

    こんにちは。
    フェースブックで、シェアさせて頂きました。
    ≪略・・・「ジャパン・シンドローム~ベルリン編」のチラシをじっくりと見た。背景に写っているのは明らかに日本人ではない観客たちだ。そして前面に浮き上がっているのは日本の子どもたちだろう。汚染されているのかいないのか、情報を知らされないまま海で無邪気に遊ぶ子どもたちを世界の観客が見つめている・・・略≫
    あきこさんの、鋭く素晴しい指摘に、ドキッとしました。作家にとって、次世代に何をつなげて何を残すかは、大きな命題でしょう。
    12月7日のベルリン公演についても、書いていただければ嬉しいです。

  2. Pingback: 「ジャパン・シンドローム」など演劇祭で活気づく5月のベルリン | みどりの1kWh