チェルノブイリを語り継ぐベルリンの劇団

あきこ / 2013年8月11日

ベルリンにいると実に様々な人に出会うが、中でも先日会った女性はとくに印象に残る人だった。ウクライナ出身の彼女は、クラシック・バレエをドイツとハンガリーで学んだあと、バレリーナとしてドイツ南西部のカールスルーエとベルリンのカンパニーで踊っていた。新しいシーズンにはプリマ・バレリーナの地位が約束されていたが、シーズンが始まる直前に足の故障でバレリーナとしてのキャリアを断念せざるを得なくなった。その後、映画女優に転身したが、ハリウッド作品に出演したのを最後に映画俳優としての仕事にも終止符を打った。2003年、彼女はベルリンで「ドキュメンタリー劇団」という変わった劇団を立ち上げ、演出を担当している。この劇団が「ドキュメンタリー劇団」と名づけられたのは、すべてのセリフを実際に語られた関係者たちの言葉で構成し、時代の証言を記録することを目的としているからだという。

「ドキュメンタリー劇団」という存在を知ったのは、この劇団が今ドイツで問題になっている極右の若者たちの日常を描いた作品「NSU-Akte(国家社会主義地下組織-ファイル)」を公演していると聞き、その舞台を見に行ったのがきっかけであった。公演後、作品について脚本・構成を担当したユーディット・ラーナーさんと話して非常に興味を覚え、インタビューを申し込んだ。1ケ月後に実現したインタビューは、同作品についての話で始まり、「ドキュメンタリー劇団」を立ち上げた経緯と今までのレパートリーについての話に及んだ。

記事冒頭の女性演出家の名前はマリーナ・シューバルトという。出身地のウクライナには母親をはじめ、家族や親せきがウクライナに住んでいるため、しばしば訪問していた。チェルノブイリの事故後、外国からの医師団のソ連入国が許された直後、核戦争防止国際医師会議のドイツ支部の医師たちが住民たちの診察のために被災地を訪問すると聞いて、シューバルトさんは即座に医師たちの通訳として同行することを志願した。その後も頻繁にチェルノブイリを訪れるようになり、事故収束のために動員された数多くのリクビダートルとその家族や強制退去させられた住民たちにも会って話を聞ける関係を築いていった。最近、彼女の母親が非常に珍しい心臓病を患ったところ、チェルノブイリ事故との関連が疑われたため、親戚全員についても原発事故の影響がないかどうか、チューリッヒの医学研究機関でDNAの検査が行われているところだという。彼女自身も、「立入禁止」の看板が草木に覆われていたため、その看板に気づかず、高い放射線量が残る地区に入ってしまい、被ばくしているはずだという。

チェルノブイリ事故の悲惨さを自ら体験した彼女は、事故からちょうど20年が過ぎた2006年に、「チェルノブイリ」という作品を作った。この作品は、ベラルーシで活動しているウクライナ出身の女性作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチの原作で、チェルノブイリの犠牲者たちを取材して書かれた証言集「チェルノブイリの祈り」をもとにした作品である。劇作品「チェルノブイリ」は、原発事故を収束させるために動員されて命を落としたリクビダートルの妻が語る言葉を中心に構成されている。一瞬の事故で愛する夫を失い、人生を破壊されてしまった女性の言葉で悲劇が語られていく。シューバルトさんは、この作品について次のように書いている。「これは愛の物語、生き延びるための戦いの物語である。そして何よりも人類全体にとっていまだにその結果が測定不可能な大惨事についての物語である。残念なことに、この物語は福島の事故が起きたことで、再び苦さとともに蘇ってしまった」と。この作品は「ドキュメンタリー劇団」のレパートリーとなっている。

インタビューの中でシューバルトさんが語った言葉が心に残った。「チェルノブイリ事故は悲惨な結果をもたらしました。それから25年後、福島で起きた事故はどんな結果をもたらすのか予想がつきません。ただ私は、福島の事故はチェルノブイリとは比べようもないほど深刻であることは間違いないと思っています。チェルノブイリは原子炉を石棺で覆いました。しかし、実際は石棺の下には放射性物質は何もないことが科学者たちの検査の結果、はっきりとわかっています。爆発ですべてが空中に放出されたからです。でも福島は、まだまだ放射性物質の放出が続いています。原子炉内の状態がわからないのです。それに汚染水のこともあります」。インタビューは7月半ばのことだった。そして、日本では不思議なことに参議院選挙が終わった途端、ドイツほどの大きな扱いではないにせよ汚染水の話や3号機から出る湯気のことなどが報道されている。福島の事故はまだ現在進行形であることが重い現実としてのしかかってくる。

 

フランクフルト書籍見本市で授賞式が行われる「ドイツ出版協会平和賞(Friedenspreis des deutschen Buchhandels)」の今年の受賞者は、「チェルノブイリの祈り」の作者、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチに決定したことが、6月30日に発表された。また、ベルリンに本拠を置く国際人権連盟(Internationale Liga für Menschenrechte)は人権擁護のために優れた活動を行う個人あるいは組織に対して「カール・フォン・オシエツキ賞(Carl-von-Ossietzky-Medallie)」を授与している。シューバルトさんのチェルノブイリ事故の犠牲者たちへの尽力が認められ、2002年に同賞を受賞している。

 

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