「原発事故が収束していない」不思議の国

あきこ / 2013年4月28日

2011年の5月以来、ほぼ2年ぶりに一時帰国した。前回は、東日本大震災の2ヶ月半後で、何か緊張感のようなものを感じた。震災後3ヶ月が経った6月11日には、私が京都に住んでから初めてというほどの大きなデモ(メーデーの集会はのぞいて)で、「原発いらない!」の声が都大路に響き渡った。それから2年、日本の様子がどうなっているか期待と不安が入り混じった気持ちで帰国した。

日本は「不思議の国」というのが正直な感想だ。3週間の滞在中、新聞は読まなかったし、テレビもあまり見なかった。このように限られた情報の中で、今回の帰国中に受けた印象(非常に個人的で主観的なものであるが)をまとめてみた。

1.帰国直後のテレビでは北朝鮮のミサイル発射がいつになるかというニュースばかり。この件については、ドイツのメディアもかなり神経を尖らせていて、ニュースでも頻繁に取り上げられていた。それにしても、日本のテレビはどのチャンネルを見ても、ピストルを構える金正恩の姿を執拗に繰り返し、好戦的威嚇者としてのイメージを視聴者に押し付けるかのようだった。

2.北朝鮮に関する報道の嵐が終わると、福島原発の汚染水漏れのニュース。これには本当にびっくりして、目も耳もテレビにくぎ付けになってしまった。ところが、なぜか北朝鮮のニュースほどの執拗さがないと感じた。経産相が東電社長を呼び出して、海水に漏れないように注意をしたというニュースが流れたときに感じたのは、海水が汚染されていないかについて、なぜメディアが独自の調査をしないのかという疑問である。この問題を詳しく取り上げたのは、NHKの「クローズアップ現代」だけだった。

3.もう一つ驚いたのは、ネズミが原因で停電し、冷却装置が停止したというニュースである。3月下旬に続いて2回も起きたことになる。「エッ、ネズミで停電! 冷却装置停止!!」と言われても、にわかには信じられない。安全神話の上に稼働されてきた原発が、ネズミ一匹で冷却装置停止という危険が報じられた矢先、経産相が「原発の安全性を規制委が判断した上で、(再稼働の)スケジュールは早ければ秋になる」との見通しを示したというニュースを見て、いったい福島の事故からどんな教訓を学んだのかと考えた。

4.滞在中、淡路島を震源とする地震が起きた。発生した時間も規模も阪神淡路大震災を思い出させたが、しかし揺れ方は全く違った。ドスーンという突然の急激な揺れではなく、グラグラと長く揺れる不愉快な揺れ方で、人づてに聞く東日本大震災のときと似ていると思った。「原発、大丈夫?」ということがまず思い浮かんだが、今は大飯の2機以外は停止しているという事実を思い出し、やや安心感を覚えた。それにしても地震は恐ろしい。

福島原発事故後2周年に当たってベルリンでは3月12日、日本国大使館で「福島原発事故を考える」と題して、日本政府の事故調査・検証委員会委員長の畑村洋太郎委員長と、同委員会の技術顧問の淵上正朗氏の講演を聞くことができた。「福島第一原発事故をどう将来に生かすか」というサブタイトルが付けられた講演の中で、畑村委員長は「安全性が確認てきたら再稼働という論理は、今回の事故が起こったことで破たんした」と述べ、さらに「あり得ることは起こる。あり得ないと思うことも起こる。思いつきもしないことも起こる」ことを強調した。汚染水漏れは、地下貯水槽の設計に当たって東京電力は起こり得るリスクを見過ごしていたというのが上記「クローズアップ現代」での説明だった。畑村委員長の説を引けば、「あり得ることは起こる」ということになる。またネズミの感電死による停電での冷却装置停止は、まさに「思いつきもしないことが起こる」ことの典型のように思える。

2年前に帰国したときは、原発事故によって今までの生き方が根底から揺さぶられたような危機感を感じたが、今回はまるで原発事故などなかった国のように見えた。去年暮れの政権交代を受けてすっかり様変わりしたようだ。安倍首相が打ち出す「成長戦略と骨太の方針」がまるで東日本大震災と原発事故で打ちのめされた日本を救う妙薬であるかのように、これらの方針がもたらすであろう効果を伝える報道に日本が振り回されているように感じた。ただそのような状況の中で、安倍首相が参議院予算委員会で述べた言葉は覚えておきたいと思う。一字一句を正確に記憶しているわけではないが、首相は「原発事故が収束したと言ったのは前首相であり、私は収束したとは思っていない」という主旨のことを述べたのである。もしこの言葉を真摯に受け止めるならば、「再稼働のスケジュールは今年の秋」という目論見は崩れるはずだ。

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