「わたしのベンツはパジャマで覆われている」

やま / 2013年3月17日

今年のドイツの冬の日照時間は、過去に例のないほど少なかったそうです。暦どおりに3月1日からやっとベルリンにも春が訪れました。待ちに待った太陽を浴びながら思う未来はばら色です。気候変動? 地球温暖化? なんとかなる、肝心なのは今の生活水準が保てること、石(油)にかじりついても……。「それは思い違いだ。未来とは現在がグリーンウォッシングされたという状態ではない」と考える「未来完了形(Futurzwei)」という財団があります。ドイツ語をかじった方はご存知だと思いますが、未来完了形は、ある事が近い未来に完了することを表し、「~してしまっているだろう」という意味です。

この財団の創立者であるハーラルド・ヴェルツァー(Harald Welzer)教授は未来について次のように南ドイツ新聞(Süddeutsche Zeitung)のアクセル・リューレ(Axel  Rühle)記者のインタビューに答えていました。その一部をご紹介します。

SZ:「未来完了形(Futur zwei)」とは?
HW: 我々の仕事は「現在」「ここ」で行われています。「地球はもう破滅だ」といった絶望的な気分に陥らずに、どうしたら視点を変えて再び未来を考えることができるか。それを提案するのが我々財団の課題です。どこの国の政治家も、闊達な社会を創りあげることを本当に目指してはいません。景気が下火であり、今までの生活水準を保とうとびくびくしながらそれにしがみついています。未来とは、過去に思い描いていたものが実現する社会、つまり「待望の過去」としか思われていません。

SZ: 私たちは今とは違った未来を想像できないのでしょうか?
HW:  ジャレド・ダイアモンド(Jared Diamond)は著書『文明崩壊』中でうまく説明しています。イースター島、グリーンランドのヴァイキング、そしてマヤ文明と、どの例を取り上げても同じです。彼らは開花期に豊かだった資源を、衰退期になっても、さらに略奪していったのです。畑の土質が悪くなったならば、他の土地をさらに農地にしていこうと、彼らは土地資源がなくなるまで使って滅びていったのです。
SZ: 私たちも同じようにやっているのでしょうか?
HW: もちろん。考えてみてください。我々の文明を支えたといわれる石油資源がなくなっています。それに対しての答えは?「深海を掘ればよい。断じてシェールガス生産を取り入れるべき」と聞きます。破局的な債務問題? 大量な紙幣を市場に供給するべきなど、どの解決案を取り上げても、文明崩壊を進めていることは同じです。

SZ: 先生の同僚が「人間はこの世の終わりは想像できるが、成長なしの生活は無理だ」と述べていましたが。
HW: そのとおりです。心の底では、だれもが経済成長を信じているようです。今の成長は“グリーン成長”と呼ばれていますが、どちらかと言えば”グリーンウォッシング成長”ですね(笑)。「これからの生活は今とはまったく変わらず、ただ風車とビオ製品付きだ」と思うのはバカバカしい。未来は、頭を使った過激なエネルギー削減にあると私たちは考えています。無駄な物は買わない、無駄に移動しない、それしかない。私が緑の党を責めるのは、彼らは環境保護を主張しているが、誰のために環境が破壊されているのかを、有権者にはっきりと述べていない、ということです。メキシコ湾原油流出事故が起きましたが、そもそもタンクにガソリンを入れているのは誰でしょうか!
SZ: 先生、私、そして私たちみんなですね。
HW: 正解です。被害が限られた地域で起こり、極端な事故であったりすると、我々はうまく責任を“悪人”に押し付ける事ができます。アメリカが悪い、シェル石油が悪い、などと。

SZ: 先生自身は未来をどう想像していらっしゃいますか?
HW: 今の社会はそう長くは存在しないでしょう。これから増えていく世代間の不公平を取り上げてみてください。アラブの春では、特に職のない若い男性の間で抗議活動が広がりました。スペインの若年層失業率を見ると、社会の不公平が果たしてなくなるのかと疑問に思います。この社会は既に勝者と敗者に分かれていっています。資源が残り少なくなるほど、権力を持つ者が有利となります。残った資源が権力を持つ10億人にしか行き渡らなくなると、厳しくなるでしょう。残りの60億人はどうなる? 社会は調整していくでしょう。
SZ: 調整という言葉は、穏やかに聞こえますが。
HW: 調整できると想像すると何かうまく行くように思えますが、これは相手を壊滅するとも理解できます。
SZ: そして気候変動による災害を見ると未来の展望は良いとは思えません。
HW: ですから、心構えが重要となります。去年の秋に、『成長の限界』140周年記念の会議が開かれました。いつものようにこの会議には大勢の気象研究者が参加し、CO2増加による壊滅的な影響を発表しました。『成長の限界』の執筆者の一人であるのデニス・メドウズ氏(Dennis Meadows)は会議を開催した際、学者たちに次のように呼びかけました。「みなさん、持続可能性への道を今になって探すのはもう遅い。今の世界には抵抗力が必要です。日照り、洪水、富の喪失に対してどう生き延びるかを考えるべきです」。
SZ: 参加者の反応は?
HW:反応なしでした。この警告に迷わされずに、学者たちはそれぞれ持ってきた論文を発表し、飛行機を使い飛び去りました。

SZ: 先生はスタッフといっしょに、「未来を覗く」というストーリーを集めていらっしゃると聞きました。自ら進んでオルタナティヴな(違った)社会を作ろうと活動しているグループの話を集めて紹介していらっしゃる。例えばシュヴァルツヴァルドの小さな村で創立された電力会社、屋外で自転車を修理して難民に贈っている、あるベルリン市民の話。先生の一番のお気に入りは?
HW: すばらしい例は“食べてもいい町“です。ライン川沿いの小さな町アンダーナッハの話です。特にこの例で気に入ったのは、たった一人でも自分の行動範囲を利用すれば変革は可能であると分かるからです。

SZ: 「だらだらとした、日常の習慣から抜け出す、自分自身に対して反抗していかないといけない」と先生は書かれています。そのやり方は?
HW: それぞれ、自分の行動力を無駄なく最大化することです。速度より精密さ、効率性よりも慎重さ、立ち止まる。簡単に言うと、一年で飽きてしまうデザインのスーツを買う代わりに、近くの仕立て屋で一生持つものを作らせたほうが結局は未来のためになります。薄型テレビは別ですが、わが家にある家具の大半は40年以上経つ中古品です。飛行機での長距離旅行はしないと2年前に私は誓いました。南アメリカ、アフリカ、オーストラリア、インドなど訪ねたことはないのですが、長距離旅行をしなくても満足な生活はおくれると思っています。スイスの大学へも北ドイツの大学へももちろん電車で通っています。
SZ: そして先生のご自慢のベンツは?
HW: デザインがとても気に入っていて、まだ持っています。あの車は家のガレージに置いてあり、車体パジャマで覆われています。

ハーラルド・ヴェルツァー(Harald Welzer)教授について : 1958年生まれ。社会学、政治学と文学をハノーバー大学で学ぶ。フレンスブルグ大学ではトランスフォーメーション・デザイン科の、そしてスイス、ザンクト・ガレン大学では社会心理学の教授である。社会学者であるダナ・ギーゼケ(Dana Giesecke)とともに財団「Futurzwei」を指導している。数多くの著書がある。例えば『行為者。常人からどのように大量虐殺者になるのか(Täter. Wie aus ganz normalen Menschen Massenmörder werden)』、『気候戦争。21世紀には何が目的で殺人が生じているか(Klimakriege. Wofür 21.Jahrhundert getötet wird)』、『自分で考える – 抵抗への手引き(Selbst denken – Eine Anleitung zum Widerstand)』。

Futurzweiのホームページ

1)1972年にローマクラブが発表した報告書

カイロにあった車、撮影 Paul Keller
http://www.flickr.com/photos/paulk/3167133254/in/photostream/
車体カバーのことをドイツ語では“車体パジャマ“とも言う。

関連記事“食べてもいい町“
https://midori1kwh.de/2012/11/04/2579

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