「何も学ばず」

まる / 2012年8月12日

7月5日に国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会が、同23日に政府事故調査委員会が最終報告を公表したのを受け、日本の新聞雑誌ではこの2つの報告に加え、東京電力と民間のもの、計4つの報告を比較する記事が多く見られるようだ。7月6日の南ドイツ新聞は、5日の国会事故調査委員会の国会での最終報告について、「罪と無知−調査報告によれば、福島原発事故は日本政府と東電の責任」という大きな記事を掲載した。事故から9日後に空中から撮影された、福島原発の痛々しい写真も大きくあり、”廃墟の風景”というキャプションがついている。

この記事は、国会事故調査委員会が福島原発事故を「人災」であったと結論付けたこと、しかし日本では誰もその責任を取ろうとしないことから書き出されている。そして報告書から、東電は津波の高さは予測できなかったとし、日本政府は事故を現場のせいにしてきたが、福島第1の原子炉は津波の起こる前に地震で損傷していた可能性もないとはいえない、東電は責任逃れのために津波にこだわった、他の原子炉に対する安全規制が厳しくなるのを防ごうとした…などの内容を紹介している。そして批判する。

「東電はこのような原子力事故に対する安全対策を準備していなかった。そんなことをすれば、事故があり得ることを認めることになるからだ。原子力発電所周辺に住む人々のことは考えていなかった。最優先されたのは、最大の利益を上げることだった。」

記事の最後の方には、最終報告の後、黒川清調査委員会委員長が「真剣に検討して結論を出してほしい」、「最終報告は”終わり”ではなく、”始まり”である」と言ったこと、調査委員会メンバーで地震学者の石橋克彦氏がメディアで働く人たちに対し、「市民としての権利を行使し、国民に情報をきちんと伝えるよう」訴えたことも報じている。

この日の南ドイツ新聞では、この記事の他に解説欄でもこの国会事故調査委員会の最終報告が扱われており、「何も学ばず」という見出しで東京特派員クリストフ・ナイトハート氏の解説が載っている。

「『ごう慢、無知、無能』−国会事故調査委員会は日本のエスタブリッシュメントに対し、この上なく厳しい評価を下した」と論評している。そして、エスタブリッシュメント、つまり原子力産業、一部の政治家、学者、ジャーナリストたちで作られる”原子力村”に福島で起きた惨劇の責任はあるとした最終報告が、日本社会にとってどのような意味を持つかについて述べている。

「大抵の民主主義国家では、そのような評価は辞任を伴うものだ。報告書の中で薦められているラディカルな産業構造改革は避けられないはずだ。しかし日本では、何かが起きるかどうかさえ全く分からない。このような調査委員会を設けられるのは日本では初めてのことであるが、これは日本が市民社会になろうとする上での初の真剣な試みでもある」とし、この試みには市民、国会、メディアの力が必要で、特にメディアはこれまで非常に控え目だったと指摘する。

そして、最後の段落は「福島は日本に複数のチャンスを与えた。日本は原子力の夢から目を醒まし、麻痺状態を管理することしかできない談合政治と呼ばれる袋小路から抜け出すこともできるはずだ」と、福島原発事故をチャンスと見る、希望の閃光が差して来るような書き出しだ。

しかしナイトハート氏は、事故から学んだのは今のところ一部の人たち、地方のいくつかの自治体だけであり、政治、特に野田総理は、ごう慢で無知、上から見下すような態度で原子力に対する市民からの批判を無視していると指摘する。そして「原子力村は既に再びその勢力を取り戻している。この調査委員会は日本の最後のチャンスかもしれない」とこの解説を括っている。

4つの報告書を細かく比べることも、責任のありかをつきとめるために必要なことなのかもしれない。でもそれより、それぞれの報告書のエッセンスを吸い取って(例えば、7月23日公表の政府調査委員会の最終報告でなら「事故の原因は安全神話にあった」こと)、最終報告書で福島原発事故が終わったとせず、これが日本の転機、新しいスタートにすることの方が大切なのではないかと思った。