東部ドイツで太陽が沈む?

永井 潤子 / 2012年4月29日

危険な核エネルギーに代わるクリーンなエネルギーとして一段と重要性が高まっている太陽光発電、特にこの10年あまりのドイツでのソーラー産業の発展はめざましいものがあった。しかし、国の手厚い自然エネルギー促進政策に守られて一時期世界のトップ企業にのし上がったソーラー関連の各企業が、最近では中国製の安いソーラーパネルとの競争に敗れて次々に失速、業績不振や倒産に追い込まれている。さらに政府の太陽光発電促進政策の見直し、補助金の大幅カットが追い打ちをかけ、倒産企業は増える一方だが、その結果、ただでさえ産業構造の基盤の弱い旧東ドイツ地域が大きな打撃をこうむることが憂慮されている。東部ドイツ各州が特にソーラー産業の育成に力を入れてきたからである。

例えばザクセン・アンハルト州のビッターフェルト地域。旧東ドイツ時代、ビッターフェルトといえば公害の代名詞のようになっていた。広い地域にわたって大規模石油産業コンビナートなどが集中しており、公害対策がまったく取られなかったため、大気汚染がひどく、住民は悪臭にも悩まされていた。工業廃水は垂れ流しで、ハレ大学の物理学者が学生とともに近くの川の水で写真の現像に成功したという逸話があるぐらい、川の水の汚染もひどかった。そうしたビッターフェルトのコンビナートは、1990年のドイツ統一後ほとんどすべてが閉鎖された。おかげでビッターフェルトの空気はきれいになり、住民は初めて灰色ではない白い雪が積もるのを見たと言われるくらいだった。環境は良くなったものの、かつてのコンビナートで働いていた何万人、何十万人という人たちが職を失った。社会主義計画経済から市場経済への転換は、多くの困難をともない、失業率は30%を超えた。

不況の10年の間、州政府や関係者の努力でこの地域にも現代的な企業が少しずつ誘致されてきたが、そこに救世主のように現われたのがソーラー産業のQ−Cellsだった。1999年ベルリンにQ-Cells社を設立したアントン・ミルナー氏らが、ビッターフェルト・ヴォルフェン地区のタールハイム町を視察に訪れたのを、同町のクレシン町長は見逃さなかった。安い土地の提供や営業税の安さなどクレシン町長が熱心に提示する有利な条件に心を動かされた創業者たちは、2000年にここに移り、空き地にソーラーパネル生産工場をつくった。2001年操業開始、最初は小さな村一つに太陽光発電による電力を供給しはじめたが、1年後には、太陽光発電の恩恵をこうむる村の数が3つになり、4年後には8つに増えた。折からドイツでは再生可能エネルギー法が制定され、太陽光など再生可能なエネルギーによる電力の有利な固定価格買い取り制度が誕生したため、太陽光発電ブームが起こった。Q-Cellsの工場は急スピードで増え続け、当初19人だった従業員が間もなく3000人にまで増えた。2008年にはQ-Cellsは一気に世界最大のソーラーメーカーとなり、みどりのエネルギーによる雇用の確保で、この地域の将来は明るくなったと見られていた。他のソーラー関連企業も集まってきて、ビッターフェルト地域は、シリコンヴァレーになぞらえてソーラーヴァレーと呼ばれるようになった。

しかし、そうした奇跡の経済成長の時代は長くは続かなかった。急成長したこの企業が、グローバルな競争に破れ、転落するのもドラマチックなほどの早さだった。去年の損失が約8億5000万ユーロ(約930億円)を記録した同社は、何カ月もの間生き残りの道を探った後、今年4月3日、正式に裁判所に倒産手続きの申請をした。約2300人の従業員が失業の危険にさらされている。

ベルリンを取り巻くブランデンブルク州もソーラー産業の誘致に力を入れてきた東部の州の一つだが、Q-Cellsの倒産が明らかになった2週間後、ここにも悪夢のようなニュースが伝えられた。アメリカのソーラーパネルメーカー、ファースト・ソーラー(First Solar) 社が、同州のポーランドとの国境の町、オーダー河畔のフランクフルトにあるふたつの工場を今年10月末で閉鎖すると発表したのだ。ふたつの工場の従業員1200人と関連企業の300人のあわせて1500人が、失業の危険にさらされることになる。2006年にファースト・ソーラー社の誘致に成功した時には、ブランデンブルク州関係者も大喜びで、将来オーダー河畔のフランクフルト市を「太陽の町」とするという夢が膨らんだ。当時この町にはすでに、カナダのコネルギー(Conergy)社とオーダーサン(Odersun) 社が進出しており、3社合わせて2000人以上の新たな雇用が創出された。しかし、オーダーサン社は今年3月に倒産、コネルギー社も目下、危機脱出の道が探されている。ファースト・ソーラー社は去年11月、第2工場に多額の投資をしたばかり、専門家たちがこの社だけはグローバルな競争力があると判断していただけに、痛手は大きい。同社の撤退の理由はドイツ政府の補助金削減にあると現地では見られており、誘致に尽力したフランクフルト市のマルティン・ヴィルケ(Martin Wilke)市長は、ショックを隠していない。

オーダー河畔のフランクフルト市は、旧東ドイツ時代はエレクトロニクスや半導体の中心地だったが、統一後それらの工場は閉鎖され、めぼしい新しい産業も生まれていないため、失業率は14、6%と高い。ブランデンブルク州のなかでも問題を抱えている町で、統一後多くの市民が移住し、市の人口は1990年以来、3分の2に減ってしまった。この町に現代的な産業を誘致しようという試みはいろいろ行なわれてきたが、誘致したチップ工場が2003年に倒産し、市と州に莫大な負担をかけたという苦い経験もしている。ブランデンブルク州政府関係者は「ファースト・ソーラー社の撤退は市と州にとって爆弾テロ以上の打撃だ」と語っている。かつての「夢の太陽光」が今では「悪夢の太陽光」になってしまった。

ブランデンブルク州全体を再生可能エネルギー関連産業の州にすることを目指すマティアス・プラツェック(Mathias Platzeck、SPD) 州首相も、連邦政府の太陽光発電に対する補助金カットは、ドイツのソーラー産業全体に打撃を与え、失業の増大を招くだけでなく、脱原発のプロセスを危険に陥れると批判している。

もっとも、Q-Cellsをめぐる状況は、その後やや希望の持てるものに変わってきているようだ。倒産管理人のヘニシュ・ショリシュ氏が4月23日明らかにしたところによると、Q-Cellsの工場では一部ストップしていた生産が再開されたという。パネルの生産工場では50%が再稼働、モジュール部門も3交代制での生産が再開され、間もなく以前のように4交代で週7日間の生産体制がとられる予定だという。ドイツ政府の補助金カットが発表された後も、太陽光発電を導入しようという人たちが少なからずいて、その注文をこなす必要があるというのが生産再開の理由である。こうした事実から見ると、ソーラー産業の実態はマスメディアなどの悲観的な予測より良いのかもしれない。そのせいかQ-Cellsを引き受けることに関心を示す外国企業や金融機関などが幾つか現われているということである。

今年第1四半期のドイツの太陽光発電は、去年に比べ40%以上増えて39億キロワット時に達した。これは約400万所帯の電力使用量に相当するという。この事実が示すように、ソーラー産業の需要が増えるのは確実である。パネルの生産だけではなく、設置、保守、管理、技術開発など、太陽光発電に関わる間口は広く、この点に東部ドイツの希望とチャンスがあるようだ。

 

2 Responses to 東部ドイツで太陽が沈む?

  1. 古川三枝子 says:

    当初、政府の支援によるpep‐upで急拡大したドイツのソーラー産業が補助政策打ち切りで、一見、急転落の悲劇には見えるものの、これからは支援なしの純粋市場原理で定着していく様子を再生可能エネルギー後発国になってしまっている日本は今後注視し参考にするべし。

  2. みづき says:

    ファースト・ソーラー社は、去年多額の投資をしたばかりなのに、それから
    1年未満で工場閉鎖ですか。
    企業の判断は早いですね。
    利益のためには、そうでないといけないのだろうけど、働いてるほうは
    怖いですね。

    「ビッターフィールドは公害がひどくて、過疎化が進んだ」という
    話は聞いたことがあったのですが、ここ10年ほどは、ソーラーで繁栄しかけて
    いたんですね。
    勉強になりました。

    東西ドイツ統一後、失業率が高いという東独地域には豊かになって
    ほしいのですが、なかなか難しいものですね。