ベルリンでの東日本大震災1周年記念

永井 潤子 / 2012年3月18日

地震、津波、原発事故という三重の、未曾有の事故に見舞われた日本。その東日本大震災の1周年を記念し、犠牲者を追悼する行事は、ここベルリンでも3月11日を中心にさまざまな形で行なわれた。

福島第1原発事故がきっかけで、ドイツ政府は去年6月、2022年までに原発から撤退するという脱原発の行程表を決めたが、その後メルケル政権は脱原発実現に向けての具体的な努力を怠っていると野党や反原発の市民運動家たちは批判を強めている。そのためドイツでは、1周年の3月11日、原発など原子力関連施設のある6カ所で反原発の大規模デモが行なわれた。反原発の市民運動家たちが大挙して各地のデモに出かけてしまったため、当日、首都ベルリンでのデモは行なわれなかった。代わりに前日、10日夕方、市の中心部にある有名なヴィルヘルム皇帝記念教会前の広場で、ドイツ人市民グループによるアンティ・アトム・デモというのが行なわれ、ベルリン在住の日本人女性たち約15人もこれに参加、冷たい風が吹くなか、プラカードを持って立ち、チラシを配り、原発反対の署名を集めた。

 

1周年記念当日のベルリンは、早稲田大学交響楽団の大震災追悼記念コンサートで始まった。早稲田大学は音楽大学ではないにも関わらず、そのオーケストラ(通称ワセ・オケ)は水準の高さで知られ、1978年「カラヤン・コンクール」で優勝して以来、ベルリンフィルとの関係が深い。そのフィルハーモニーの大ホールで午前11時から行なわれたコンサートは、まずリヒアルト・シュトラウス作曲の「アルプス交響曲」で、大編成のオーケストラの魅力を遺憾なく発揮した。2曲目もシュトラウスの交響詩「ティル・オイゲンシュピールの愉快ないたずら」、しかしこの日のクライマックスは、由谷一幾作曲の「和太鼓と管弦楽のための協奏曲」で、ステージ後方の高みに置かれた大太鼓と前方の左右に置かれた中小の和太鼓2組、独特の衣装をまとった3人の太鼓奏者とオーケストラの演奏が終わるとブラボーと拍手が鳴り止まなかった。当日の指揮者、田中雅彦氏がドイツ語で挨拶した後、大震災の犠牲者追悼のため、「荒城の月」変奏曲がしんみりと演奏された。その後、アンコール曲として「八木節」とベルリン子が喜ぶ「ベルリンの風」が演奏され、聴衆はそれにスタンディング・オーベイションで応えた。2階の中央席にはドイツのフォン・ヴァイツゼッカー元大統領の姿も見られたが、元大統領は杖を置いて起立、惜しみない拍手を送っていた。早稲田大学の関係者によると、ヴァイツゼッカー元大統領は特に「荒城の月」に感動されたということである。

 

午後には西の郊外にある日独センター(日独両国政府が共同出資する日本とドイツ・ヨーロッパの学術・文化交流を進めるための財団)で「東日本大震災復興祈念の集い」が催され、デーア元在日ドイツ大使をはじめ、大勢のベルリン市民や在留邦人が参加した。大震災が発生した時刻、午後2時46分(ドイツ時間、日本時間では午後10時46分)には犠牲者のために黙祷が捧げられ、被災地の復興を祈った。この集いで注目されたのは「絵手紙作戦」と名づけられた展示で、震災直後に日本全国のアーティスト200人以上が、ハンブルク在住の日本人女性芸術家に宛てて書いたさまざまな「絵手紙」(実際には絵はがき)が飾られていた。福島県出身のアーティスト、丸子万葵さんが、被災地の状況を報告、ベルリン在住の日本人デザイナー、山下民子さんとその洋裁教室の生徒さんたちの手作り製品のバザーも行なわれ、ボランティアの人たちがつくったお寿司やケーキが人気を集めた。山下さんのグループと一緒に宮城県亘理郡の小学生のために手提げなどをつくるボランティア活動に参加し、この日の集いを中心になって準備したある日本人女性は、「ドイツのマスメディアでは原発事故の悲しい報道が中心ですが、犠牲者が多かったのは地震と津波の被災地の方です。被災地の人たちに募金するだけでなく,被災者たちが復興を目指して頑張っている姿をドイツ人たちにも知って欲しいのです」と語っていた。

 

3月11日の記念行事を締めくくったのは、この日までベルリンで開かれていた「国際観光見本市」のファイナルイベント「日本の部」だった。ここでは中根猛在独日本大使の挨拶、ベルリン日本人国際学校の生徒の歌や踊り、琉球国祭り太鼓の演奏の後、和太鼓奏者、谷口卓也氏作曲の「海の華」が同氏の演奏で披露された。その演奏は日本の被災者に思いを馳せる聴衆の心に深く響くものだったという。

 

さらに3月16日夜には、日本大使館のホールで、「東日本大震災追悼・復興式典」がドイツの政財界の代表、日本でのボランティア活動に参加した人たちなどを招いて行なわれた。式典には緑の党の女性政治家、レナーテ・キューナスト氏も参加していた。この3月に赴任したばかりの中根大使は、その挨拶のなかで、去年9月から約1カ月間岩手県の被災地でボランティア活動に従事した「絆・ベルリン」のグループに触れ、その一人、フランク・ブローゼ博士が作業中の事故で左手の親指を切断する大けがをしながら、帰国せずに最後まで活動を続けたことに心からの感謝の意を表わした。その後ベルリン日本人国際学校とドイツの小学生が、被災地の復興を祈って小学唱歌「ふるさと」を日本語とドイツ語で歌い、この日のために仙台の職人が製作したという大きなだるまの左目を墨で黒く塗った。復興という願いが叶って、右目にも墨を入れる日が早く来ますようにとの思いを込めて。プログラムの最後を飾ったのは、津軽三味線奏者、上妻宏光氏の「津軽じょんがら節」などの演奏で、同氏作曲の「虹の風」などはピアノとの合奏だった。あるドイツ人出席者は「日本の伝統音楽を知る良い機会だったが、若い演奏者が伝統と現代的なものを結びつけようと努力していることにも感銘を受けた」と語っていた。

 

震災をきっかけにドイツ人と日本人の間に、市民レベルの新しい関係がいろいろなところで生まれているという印象を受けた震災1周年の記念行事だった。

 

Comments are closed.