第62回ベルリン映画祭を振りかえる 2 - 日本映画を中心に

永井 潤子 / 2012年2月23日

今年のベルリン映画祭での私たちの最大の関心事は、なんといっても東日本大震災関係の3本のドキュメンタリー映画を見ることだった。フォーラム部門に招かれた3本のうち、やはり1番強く印象に残ったのは、舩橋淳監督の「ニュークリア・ネイション」だった。この映画と舩橋監督とのインタビューについては、ベルリン映画祭で上映された「Nuclear Nation」を読んでいただきたいが、私の感想もひと言付け加えておきたい。

6日前に完成したばかりという「ニュークリア・ネイション」が世界初公開されたのは、映画祭の2日目、3本のうち最初に上映されたこともあって、観客たちの熱気は予想以上のものがあった。この夜の映画上映が成功したのにはいくつもの理由が考えられるが、映画そのものが3月11日以後の出来事を春、夏、秋と素直に時間を追って映像で示したことで、初めて日本の震災に向き合う外国の観客にも分りやすかったことが、まずあげられると思う。その上で、被災者たちの悲しみや怒りに密着して撮影する舩橋監督の誠実な姿勢や原発、あるいは東京電力や政府に対する監督の考えかたが、はっきりと示されていたことが、ひとびとの共感を得たのだった。私は特に被曝した福島県の酪農家が大量の放射能を浴びてしまった牛を死なせる訳には行かないと、売れない牛にお金をかけて毎日えさを与え続けていること、その男性の言葉に感動した。また、まず子どもを守らなければと独自の判断で早々と町ごと埼玉県の高校に設けられた避難所に移ってきた福島県双葉町の町長さんの人間的な決断にも感動した。上映後の質疑応答が盛り上がったのは舩橋監督の流暢な英語での説明のためでもあったが、「グーテンターク、ベルリン」というドイツ語で始まる双葉町の井戸川町長のメッセージが、さらに共感の輪を広げたのだった。

すべての上映がこのように成功した訳ではなかった。例えば、私が岩井俊二監督の「フレンズ・アフター3.11」を見たのは、記者用の試写だったが、始まってしばらくすると、多くの記者が次々に出て行った。何故かよくは分らないが、フクシマ以後の日本の反原発の動きを知っている人にはなじみのある人たち、しかし、外国人にはまったくなじみのない人たちが、次々に現われて自説をしゃべり続ける、監督自身も映像に語らせるよりも、映画のなかでよくしゃべる、そういう映画は日本人にはともかく、外国人には理解できないのではないかと、残念に思った(彼らの脱原発の主張には私も賛成なのだが)。もう1本の藤原敏史監督の「無人地帯」はフランスとの合作で、ナレーションは英語だった。こちらは無人地帯となった村々で桜が満開の様子など美しい日本の風景が次々に映し出されたが、監督の意図がはっきり伝わって来ず、物足りなさを感じてしまった。

実は震災関係の映画はもう1本あったのだ。ジェネレーション・ティーンエイジャー映画部門に参加した平林勇監督のアニメ、663114。タイトルの66は戦後66年、311は3月11日、最後の4は事故を起こした原発4基を意味するのだという。この映画はティーンエイジャーの審査員によって特別表彰を受けたが、私は残念ながら見ることはできなかった。表彰式に平林監督の姿はなかったが、会場はティーンエイジャーたちの熱気でムンムンしていた。こういうアニメを評価するドイツのティーンエイジャーたちにも感心する。

東日本大震災とは関係ないが、ジェネレーション・子ども映画部門では、今泉かおり監督の「聴こえてる、ふりをしただけ」が子ども審査員による特別表彰を受けた。また、短編映画部門に参加していた和田淳監督のアニメ、「グレート・ラビット」が銀熊・審査員賞を受賞するなど、今年はコンペ部門にノミネートされた日本映画はなかったが、他の部門ではかなりの存在感を示していた。

もう1本、在日のヤン・ヨンヒ監督の「かぞくのくに」に国際アートシアター賞が授与されたことも、特筆に価する。ヤン・ヨンヒ監督は日本から北朝鮮に移住した3人の兄たちの家族をめぐるドキュメンタリー映画「ディア・ピョンヤン」と「ソナ、もう一人の私」をベルリン映画祭で発表しているが、今回の「かぞくのくに」は彼女の初めての劇映画作品。この映画もほとんど実話に基づいているというが、差別の多い日本から父親によって理想の国と思われた北朝鮮に送られた、すぐ上のお兄さんに関する涙なしには見られない映画である。主演は安藤サクラと井浦新。この映画の日本での上映は8月に予定されているという。

今年の回顧展では、川島雄三の作品3本が上映されたが、1954年に制作された「きのうとあしたの間」は、私にとって忘れられない映画になった。この映画で宝塚出身の女優、淡島千景の魅力を再発見したのだが、彼女の訃報が届いた2日後にこの映画を見る羽目になってしまったのだった。映画としても3本の中では「きのうとあしたの間」が1番気に入ったが、昔の日本映画にはすばらしい作品があると改めてちょっぴり誇らしげな気持になったりもした。

映画祭の11日間、世界各国の映画をたくさん見て、人間の多様性を今更のように感じるとともに、日本の映画文化についても思いをめぐらした。年に一度の至福の時が過ぎて、目下「宴の後」の虚脱感を味わっているところである。

 

One Response to 第62回ベルリン映画祭を振りかえる 2 - 日本映画を中心に

  1. みづき says:

    私はベルリンに住んでいるのですが、映画祭には結局行けなかったので、
    レポート、とても興味深く拝見しました。

    船橋監督の映画よさそうですね。
    岩井監督の映画は、実はネットで一部視聴しました。
    私としては面白かったのですが、外国人記者たちは、もっと
    映像に語らせるようなものを期待していたのかもしれませんね。

    ベルリン在住の別の人が、自分のウェブサイトで船橋監督の映画に
    ついてレポートされていましたが、やはり「監督の流暢な英語と
    町長のグーテンタークが効いていた」というようなことを書いて
    らっしゃいました。
    「やはり、同じ言語を使って直接に話しかける」っていう行為そのものが
    親しみとか信頼感とかを高めるためには大事なのかな〜と
    思いました。
    エネルギー問題にはあまり関係ありませんが…。